頌う、水の精。
今日(5/4)は、背戸峨廊へ。
世間では大連休とやらでかまびすしいですが。…
当方、いろいろがいろいろで予定が立てられず、遠出など、もっての外?
でも、表象(かたち)を変えた「山登り」を為ている様なもので、
今までなら見ることのなかった景色にであい、相応に達成感も。
先輩方の踏み跡があるにはあるけれど、それは参照、ただ引き合いのこと。
道を間違えてはならない。
天へと、ルートファインディングの責任は己自身に。
気晴らしにと磐城街道に客となれば、新緑と菜の花の親迎。
水の響が聴きたくて、やって来ました。
水の精と語らいながら、のたりのたり。
滝は、水の頌歌。
水の響に耳を清ませていると…
「まことの仏のことは、まえにくわしく申しつる如く、衆生の心にあるなり。
その仏は色もかたちもなく、大にもちいさきにもなし、
過去、現在、未来もなく、虚空の如くにていたらずといふ所なく、
いきしになく、いやしくもなし、是れ根本の仏なり。
この仏をだに知りぬれば、我が心のうちに残る仏なくましますべし。
菩薩も文珠・弥勒・薬王・観音・虚空蔵・普賢その外一切の菩薩
みな一心の名にて候。慈悲ふかくして世に出て、
衆生の心則ち仏也、菩薩也としらしめて、六道を出すべきため也。されば、
一菩薩にて機にしたがひ時に応じ玉ふ、何れおとりまさりとも申しがたし」
と、
疎石禅師の声が聞こえてきました。
いい時間を過ごせました。
大~きく高巻いて、帰るとしましょう。
水の精との響和のひと時に
感謝、感謝。
Fin