櫛ヶ峰を頂けば、陽精の頌歌。
今日(9/12)は、磐梯山へ。
あれやこれやと所用があって、山行がままならずに居りましたが、
その間、天変地異が相次ぎました。―
「災いに遭うときには、災いに遭うのがよく、死ぬときには、死ぬのがよいのだ」
と、言ったそうな。
大災害というものは、宇宙の生成、そして進化の,一環であるといえ、
そこには、何の悪意もなければ、善意もありません。
宇宙が運動していること、そのこと自体が、
宇宙がコスモス(=秩序)であることの証しなのです。
天変地異を前にしては、わたしたちは、ただ、愕然として、
諦念を、悲しみを、歯に軋ませる村人の一人でしかありません。
家も、財産も、なにもかもを奪われて、
自分はなにももたず、裸で生まれてきたのだ、
「すべてのものが塵から生じ、すべてのものが塵に帰る」(コヘレト)のだと、
思い知らされます。
「助けてくれ」と叫び合い、うめき合う「被災者」のすがた、その赤裸、
それこそが、人間の本質であり、そして、
そのありのままで助け合うことこそが、愛であり、信であり、望であり、
生というものの意味なのだと、あらためて、思わしめられました。
「いかに生きるべきか」、
大災害は、この問いを、わたしたち一人一人に突き付けています。
お亡くなりになった方々、お一人おひとりのご冥福を、
切に祈り上げます。
いつもの、猪苗代スキー場から。空には、秋。
『天の庭』着。パン、1/3個。
陽精は雲と戯れ、川桁山が睦ます。
ウメバチソウに元気を戴き、ぐいぐい。
沼の平。いつもの場処で、ひと息。パン、1/3個。
たたずんで、お山の響に聴きます。
櫛ヶ峰へと踏み入れば、飯豊の荘重。心が昂ぶります。
陽精に迎えれれ、櫛ヶ峰を頂きました。
その頌に雲が交響しています。
どっかと陣取り?しばし眺覧、周覧のひと時。
パン、1/3個。おにぎり、1個。
お山の寛恵が沁みてきます。
飯豊が、一帯の空気を統べります。
ぞろぞろと?雲が御出座し。
しばらくは、雲のすることを、観覧するとしましょう。
お山はくすぐったいかな?
「たとえわたしたちの『外なる人間』が滅び去るにしても、
わたしたちの『内なる人間』は日に日に新しくされています。…
わたしたちは、『見えるもの』にではなく、『見えないもの』にこそ
目を注いでいます。
『見えるもの』はこの世かぎりのものですが、
『見えないもの』は永遠に続くものだからです」
とは、パウロの言葉。
"Grace be with you",
お山は、見えないものを、志向しています。
この爆裂の痕跡の中に、宇宙の秘密が封じられています。
さて、心は、もう満腹。このまま帰ろうかな?とも思いましたが、
やはり、大磐梯の頂に寄らぬわけにもいかんだろうと、天狗岩に諭され…
また、万有引力に抗い、てくてく。
櫛ヶ峰に、いい時間を謝して…
大磐梯を頂きました。
湖は静謐。田圃はすっかり、秋色。
陽精は倦むことなく讃いつづけます。
弘法清水に戻ると、小屋前には何と、suzukiさんの姿。
"お久しぶりです"。
恐縮なことに、また、振る舞いに与ってしまい、歓談、四方山話。
お土産は、弘法清水3リットル。
下りは、suzukiさんとご一緒、お喋りに花を咲かせながら。
いつもの場処で、ひと息。
赤埴の山脊から、猪苗代湖。
いよいよ?ゲレンデ。
上るとき、栗の実の存在を、確と認識しておりました。
収穫の秋です。
収穫はご覧の通り、時期的にまだ早かったせいか、あまりとれませんでした。
でも、栗ごはんには、充分かな?(笑)
無事の下山、
恵潤の山路に
感謝、感謝、感謝。
Fin