今日(12/10)は、二ツ箭山へ。
朗俊の一日、
磐城を頂き、洋に、陽明に祝され、山精には懇誠。
テラスに温もりを愉しみ、ひと時の清爽に恵まれました。
感謝。
駐車場でM浦さんご夫妻とバッタリ。
お喋りしながら、お二人が先行。
御滝には頌歌。
その翔逸に礼すれば、謙廉に合せられます。
水の精と語らいながら。
〆張り場で沢に別れ、山脊へ。
岩場に直下。
"天を仰げ、天から生きよ"と、呼ばわる響。
攀じって男岩に対えば、懇切のエ~ル。
女岩を頂けば、洋に真率。
陽精は頌います。しばしたたずんで、黙想。
テラスへと赴くと…
S藤さんが方位盤に坐し、王者の風格?
常連のみなさんの中に交ぜて頂き、昼餉の準備。
今日は鍋焼きうどんです。
常連のみなさんの多くは、人生の先輩方。
こうして山に安んずる姿に接していると、つくづく、
最も進歩した人類だと思わずにはおれません。
そもそも『進歩』とは何であるか。
アランの定義によれば、――
「緩慢で永い間気づかれず、
それでいて外部の力に対する意志の勝利を確立する変化。
あらゆる進歩は自由に発するものである。
私は自分が[自由に]意志すること、
例えば早起きをしたり、楽譜をよんだり、礼儀正しくしたり、
怒りを抑えたり、人を羨ましがらなくなったり、
はっきりと話をしたり、読みやすいように書いたりすることなどを、
するようになる。
人々は合意して、平和を実現し、不正義や貧困を減少させ、
全ての子供達を教育し、病人を看護するようになる」、
そして、
「反対に、
われわれを多少とも非人間的な力に屈従させることによって、
知らず知らずのうちにわれわれをわれわれの立派な計画から
遠ざけるような変化を、人は進化と呼ぶ。
"私は進化した"と言う人は、時とすると、
自分が前進したことを了解させようと欲していることがある。
しかしそれは出来ない。
言葉がそれを許さないのである」とか。
山を愛で、山に愛でられて、人は、
「進歩」の験を修めます。
私は、ひよっこ。
S藤さんが、"今日は男体山が見える"とみんなに指南。
指の先には…
『男体山』。
直線距離で140kmぐらい?
山座同定をおえ、帰ります。
周回するみなさんとは、分岐で別れ、
私は沢へと降ります。
修験台から"夫婦岩"。
唱和する姿がむつまじい。
沢へと降り起てば、水の頌歌。
きらきらの律動。
水の声に耳清ませます。
溪の風、水の時間に歩を合せ。
水は収斂して…
翔逸。
そして翔踊、翔華。
御滝の映す空に与れば、山路の終わりです。
駐車場に戻ると、何とM野さんが待っていて下さいました。
"お久しぶりです"。
しばし歓談、四方山話。
無事の下山、
山路の暢達に
感謝、感謝。
Fin