あるく

~山の恵みの備忘録~

二ツ箭山/暢達 2017年12月10日

 
 今日(12/10)は、二ツ箭山へ。

 朗俊の一日、
 磐城を頂き、洋に、陽明に祝され、山精には懇誠。
 テラスに温もりを愉しみ、ひと時の清爽に恵まれました。
 感謝。
 


 駐車場でM浦さんご夫妻とバッタリ。
 お喋りしながら、お二人が先行。
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 御滝には頌歌。
 その翔逸に礼すれば、謙廉に合せられます。
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 水の精と語らいながら。
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 〆張り場で沢に別れ、山脊へ。
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 岩場に直下。
 "天を仰げ、天から生きよ"と、呼ばわる響。
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 攀じって男岩に対えば、懇切のエ~ル。
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 女岩を頂けば、洋に真率。
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 陽精は頌います。しばしたたずんで、黙想。
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 テラスへと赴くと…

 S藤さんが方位盤に坐し、王者の風格?
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 常連のみなさんの中に交ぜて頂き、昼餉の準備。
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 今日は鍋焼きうどんです。
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 常連のみなさんの多くは、人生の先輩方。
 こうして山に安んずる姿に接していると、つくづく、
 最も進歩した人類だと思わずにはおれません。
 そもそも『進歩』とは何であるか。
 アランの定義によれば、――
 「緩慢で永い間気づかれず、
 それでいて外部の力に対する意志の勝利を確立する変化。
 あらゆる進歩は自由に発するものである。
 私は自分が[自由に]意志すること、
 例えば早起きをしたり、楽譜をよんだり、礼儀正しくしたり、
 怒りを抑えたり、人を羨ましがらなくなったり、
 はっきりと話をしたり、読みやすいように書いたりすることなどを、
 するようになる。
 人々は合意して、平和を実現し、不正義や貧困を減少させ、
 全ての子供達を教育し、病人を看護するようになる」、
 そして、
 「反対に、
 われわれを多少とも非人間的な力に屈従させることによって、
 知らず知らずのうちにわれわれをわれわれの立派な計画から
 遠ざけるような変化を、人は進化と呼ぶ。
 "私は進化した"と言う人は、時とすると、
 自分が前進したことを了解させようと欲していることがある。
 しかしそれは出来ない。
 言葉がそれを許さないのである」とか。

 山を愛で、山に愛でられて、人は、
 「進歩」の験を修めます。
 私は、ひよっこ。  




 S藤さんが、"今日は男体山が見える"とみんなに指南。
 指の先には…
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 『男体山』。
 直線距離で140kmぐらい?
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 そして目を転ずると、磐梯山』。
 こちらは直線距離で95kmぐらいかな?
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 山座同定をおえ、帰ります。 
 周回するみなさんとは、分岐で別れ、
 私は沢へと降ります。

 
 修験台から"夫婦岩"。
 唱和する姿がむつまじい。
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 沢へと降り起てば、水の頌歌。
 きらきらの律動。
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 水の声に耳清ませます。
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 溪の風、水の時間に歩を合せ。
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 水は収斂して… 
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 翔逸。
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 そして翔踊、翔華。
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 御滝の映す空に与れば、山路の終わりです。
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 駐車場に戻ると、何とM野さんが待っていて下さいました。
 "お久しぶりです"。
 しばし歓談、四方山話。
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 無事の下山、
 山路の暢達に
 感謝、感謝。

 Fin