今日(12/17)は、二ツ箭山へ。
登山口いわき市は小川への半途、滝根を越えた辺りから、
俄かに空が雪雲に蔽われ、視界一面が白雪の舞う世界に。
ん~、聞いてないぞ~?と目をぱちくりさせながらも、
そのままGO。
さすがに南下、すぐに雪雲は殺がれ、朗天に恵まれました。
御滝沢に客となり、水に礼すれば…
その謙廉に合せられます。
〆張り場へ。
山脊へと舵を切ります。
仲良く上がる?勾配と心肺。
岩場に直下。
"天を仰げ、天から生きよ"と、呼ばわる響。
攀じって男岩のエ~ル。
女岩を頂けば、月山。そして洋の真率。
陽精の頌が大空に。
しばし、黙想。
天然の慈愛に浴します。
さて、テラスには、
常連のnakajimaさん、M浦さん、asanoさんが憩います。
八十を超え矍鑠(かくしゃく)のnakajimaさん。
suzukiさんを交え、歓談、四方山話。
雲を透して、陽精は聴き耳?
日向ぼっこに、時を忘れます。
さて、周回のみなさんを見送り、
私は沢へ。
修験台には、睦まじい"夫婦岩"の頌歌。
沢床へと降り起ち、水の精にご挨拶。
老子の言葉に、
「谷神死せず、是れを玄牝と謂う。
玄牝の門、是れを天地の根と謂う。
綿綿として存するが若く、
之れを用うるも勤きず」とか。――
谷は低く凹み、その底にはものが流れ集まります。
谷神とは低さ、卑しさ、おくれ等の見掛けが
かえって生命力、生産力、創造力の源となっているような、
そうしたものの絶頂、万物を養う神と解され、
そして、玄牝もまた
同様な二重性の象徴とされているのでしょう。
老子は、ここから、豊かな生命力が流れ出しているのだと、
感得したに違いありません。
低いとされ、卑しいとされ、おくれているとされたもの、
即ち、取るに足らぬとされたもの、役に立たぬとされたもの、
そこにこそ天地の根があるのだと意をくむは、
夢想に過ぎるでしょうか。
谷には謙廉が流れています。
水の時間に歩を合せて。
水の精、翔逸、翔踊、翔華。
御滝の上に起って、山路の了り。
無事の下山、
山路の恵養に
感謝。
Fin