蕾のデュエット、~ひとすじの気持。
今日(4/16)は、
阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』(884M)
及び
堂山王子緑地環境保全地域
を見廻ります。
陽春の一日、
ヤマツツジの蕾たちの衷情に触れ、
心があらわれました。感謝。
いつもの門沢登山口から。
水と陽精の目迎。
ん~いい天気。
三か月半ぶりで、すっかり春はうらら。
水石に着けば、あぶくまが展けます。
しずかな、山頂。
避難小屋を廻って、展望台へ。
階上から、しばし、まったりと、周覧。
あぶくまの響に、耳澄ませます。
(移ヶ岳~奥に日山~殿上山~竜子山~鎌倉岳~五十人山~)
(桧山~尖盛~大滝根山~)
(日影山~蓬田岳~)
さて、山頂部を見回りましょう。
展望台が、気持ち良さそうに沐浴しています。
一盃山も溌剌。
一帯に異状のあるなく、安堵。
展望台で、カップ麺でもいただきましょう。
陽精は爛々、初夏の様な。
それにしても、隣りの国がアブナイ。――
「汝が平和を欲するなら、戦争の備えをせよ」
とは、古いローマの諺。
この思想は、古代ローマに限りません、
時代を問わず、多くの国が是を軍事上の知恵としてきました。
でも、戦争の備えをすれば、結局、戦争になるのです。
戦争に骨身にしみて学んだ人間の思想は、
「汝が戦争を欲しないならば、平和の備えをせよ」
であるはずです。
この先達の言葉は、真理であり、英知です。
彼の国の化け物じみた妄執、
それをここまで膨れ上がらせたのは、
周りの国の指導者たちの、「平和の備え」を怠った人たちの、
思想の敗北と言わねばなりません。
「余は日露非開戦論者であるばかりではない。
戦争絶対的廃止論者である。
戦争は人を殺すことである。
そうして人を殺すことは大罪悪である。
そうして大罪悪を犯して、
個人も国家も永久に利益をおさめ得ようはずはない」
とは、明治のキリスト者の言葉。
『剣をとって起つ者は、剣によって滅びる』
と新約書の主人公はいいました。
そらはいたみ…
遠く、安達太良の峰々も憂いています。
でもヤマツツジの蕾たちは、おかまいなし。
つっつきあったり、わらったりして、あそんでいます。
ひとすじの気持をむねに、
ただたんじゅんに、咲こう、咲こうと願いながら。
平和への、こんな気持ちを、人間はもてないのかなぁ。
俊英たちよ、心のままに、咲け。――
いい時間を過ごせました。
そろそろ、帰りましょう。
安達太良の山と語らいながら。
水のねぎらいに与って。…
無事の下山、
蕾たちのひたすらの萌起に
感謝。
Fin