今日(12/1)は、阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』(884M)、
及び、堂山王子緑地環境保全地域を見回ります。
この間、冬が一進一退ということもあり?磐梯山にでもと、
思わなくもなかったのですが、どうにも気忙しく、行かずじまいに。
考えを纏めねばならぬことが多々あって、どうにもごちゃごちゃです。
でも、やっぱり山に登るのはいい。
阿武隈の山気に、天和に、心が洗われました。
霜柱がお出迎え。
その溌剌に激され・・・
勾配に歩一歩。
落葉は、冬化粧。
冬枯れの径を・・・スキップしようか?
水石着。あぶくまの祝福に和みます。
珍しく?お客様。郡山からとか。
しばし、山談義。
山頂部、牧野側を見回りながら、展望台へ。
暢びやかな、日和。
展望台へ到着。しばし、眺覧、周覧。
安達太良の連嶺が望めます。延伸して東吾妻山、一切経山。
交響する、あぶくま、空、そして雲。
次は、浮金側を見回ります。
郡山の市街の奥に、安積山塊。
そして遠望、磐梯山。
雪は?あまりなさそうです。
嬉しいことに、天狗岩の響。
展望台を見遣ると、登山者がお一人。
私も展望台へ。
しばし、歓談、四方山話。聞けば、87歳。郡山からとか。
今日はもう一山、移ヶ岳へ登るそうな。その矍鑠(かくしゃく)に、万歳!
異状のあるなく、安堵。
昼餉は、風の柔らかな水石へ。
めずらしく、月山。さやかな響が心を透します。
空と、雲と、語らうひと時。
先日、ローマ教皇フランシスコが来日し、その言動が報道で紹介されました。
「ぜいたくで便利な生活」から「控えめでつつましい生活」へ、
「いのち」を問い、「技術」を問い、「核なき世界」を問い、
「わたしたちはどの様な者になりたいのか」、
「後に生まれる人々にどのような世界を残したいのか」
と問う姿に、
まとわれた法衣を超え、人として満腔の共感を禁じ得ませんでした。
同様の思想は、このブログでも折に触れて綴って来ましたが、
如何せん、私は、名も無き一無用人。貧しき土塊です。
果たしてどれだけの魂に届いているでしょうか。
フランシスコの問いが、祈りが、一人でも多くの方に届きますようにと、
祈らずにはおれません。
天に舞い、頌う雲。
私も頌い、天地に舞おう。
いい時間を過ごせました。感謝。
そろそろ帰るとしましょう。
無事の下山、
天和の山路に、
感謝、感謝。
Fin