あるく

~山の恵みの備忘録~

磐梯山/恵心 2022年11月19日

先の週から一変、粛とした大日岳。(櫛ヶ峰から)

 

今日(11/19)は、磐梯山へ。

磐梯山も年の瀬、ご挨拶に?という訳でもありませんが。(笑)

立冬は過ぎたものの、先の週の飯豊と同様、磐梯山も、風情は秋晩。

ちょっと降雪があっても、南面など陽が温かくて直ぐとけてしまいます。

将軍様の足取りは、ゆっくりなご様子。行けるうちに・・・。

 

 

いつもの猪苗代スキー場から。

久しぶりにゲレンデを迂回せず直登。初っ端に大汗をかくのはイヤですが・・・

 

 

赤埴の巻き。この時季、樹間には櫛ヶ峰。

 

 

沼の平へ。雪砂糖が?まぶされた東壁。

 

 

いつもの場処で、ひと息。ちょっと飲み食い、アウター装着。

 

 

あらためて、ご挨拶。

 

 

のたりのたりと、沼ノ平。お山と語らいながら。

 

 

咲き切って、ヤマハハコ。胸打たれます。

 

 

櫛ヶ峰が招きます。

 

 

ちょっと冷たい風。しょうがないな、ここは風の通り道。

 

 

火口に起てば、はるか飯豊から、さやけき響。

 

 

ハァハァゼェゼェ?櫛ヶ峰を頂きました。

監視カメラ様におかれましてはお変わりなく、何より。

 

 

しばし眺覧、周覧。

 

 

此処に起つのはいい、何度来てもいい。

 

 

磐梯山は、磐梯山自身だ。

 

 

どの山をもまねていない。

 

 

飯豊も然り。

 

 

みんな、その特別の中で、共に歩んでいる。

 

 

天と地とをお作りになった方は、

すべての山、その一つひとつを特別の目的をもって造り、

特別の坐位におき、特別の役向きをお与えになった。

すべての山が特別の器であり、それぞれに愛と自由と独立とがある。

アルプスだ、ヒマラヤだと比べようもないし、できやしない。

人間も同じ。

世界中の、どの一人も、特別に造られ、特別に生活の坐があてがわれ、

特別な道が備えられている。それが個性ということ、それが恵みなのだ

みんな、愛そのものである作者へと特別につながっている・・・

すべて、愛という動機なしには考えられない。

それがわからない、わかろうとしない者は「暴力」の手下となり果て、

その心は悪念のカタログ、その存在証明は「戦争」でしかなくなる。

だから、慈しみをこめてイエスはいい給う~

「たちかえるんだ。人は上から生まれなければ父なる神様とつながれないよ」。

 

 

お山の祈りは、"Grace be with you"。

 

 

飯豊からも。

 

 

今日は寝坊してしまって出だしが40分ほど遅れてしまいましたが、

何とか飯豊にまみえることがかないました。感謝。

(この後、雲さんがどんどん御出座、飯豊は隠れてしまいました)

大日岳。

 

御西岳。

 

飯豊本山。

 

霞ながらも黒い点、御西小屋です。今年は行けなかったなぁ。

 

 

さて、大磐梯へも寄るとしますか。

 

 

天狗岩の呼ばわる響に耳澄ませて・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

振り返って、櫛ヶ峰。いい時間をありがとう。

 

 

分岐を越えた処で、「koizumiさん?お久しぶりです、Obaraです」。

体が締まって別人の様?あれやこれやと歓談、四方山話。

 

 

弘法清水で息まず、山頂へ。

 

 

わぁ~、雪だ!ユキだ!~わたしは童子(わらしこ)か?(笑)

 

 

北面の雪は堪えてます。このまま根雪かな?

 

 

ふ~、大磐梯を頂きました。

 

 

近くに居られた方にお願いし、記念にパチリ。

 

 

陽精の頌に唱を合せる、湖。

 

 

陽精の激を背に下るとしましょう。

 

 

今日はピン長。大正解。

 

 

 

 

 

天狗岩は呼ばわります、「天を仰げ、天から生きよ」と。

 

 

後は、すたこら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「また来な」と、お山の響。「ハイ」。

 

 

安達太良や川桁の衆のねぎらいエ~ルに与って・・・

 

無事の下山、

恵心の山路に

感謝、感謝。

 

fin