先の週から一変、粛とした大日岳。(櫛ヶ峰から)
今日(11/19)は、磐梯山へ。
磐梯山も年の瀬、ご挨拶に?という訳でもありませんが。(笑)
立冬は過ぎたものの、先の週の飯豊と同様、磐梯山も、風情は秋晩。
ちょっと降雪があっても、南面など陽が温かくて直ぐとけてしまいます。
冬将軍様の足取りは、ゆっくりなご様子。行けるうちに・・・。
いつもの猪苗代スキー場から。
久しぶりにゲレンデを迂回せず直登。初っ端に大汗をかくのはイヤですが・・・
赤埴の巻き。この時季、樹間には櫛ヶ峰。
沼の平へ。雪砂糖が?まぶされた東壁。
いつもの場処で、ひと息。ちょっと飲み食い、アウター装着。
あらためて、ご挨拶。
のたりのたりと、沼ノ平。お山と語らいながら。
咲き切って、ヤマハハコ。胸打たれます。
櫛ヶ峰が招きます。
ちょっと冷たい風。しょうがないな、ここは風の通り道。
火口に起てば、はるか飯豊から、さやけき響。
ハァハァゼェゼェ?櫛ヶ峰を頂きました。
監視カメラ様におかれましてはお変わりなく、何より。
しばし眺覧、周覧。
此処に起つのはいい、何度来てもいい。
どの山をもまねていない。
飯豊も然り。
みんな、その特別の中で、共に歩んでいる。
天と地とをお作りになった方は、
すべての山、その一つひとつを特別の目的をもって造り、
特別の坐位におき、特別の役向きをお与えになった。
すべての山が特別の器であり、それぞれに愛と自由と独立とがある。
アルプスだ、ヒマラヤだと比べようもないし、できやしない。
人間も同じ。
世界中の、どの一人も、特別に造られ、特別に生活の坐があてがわれ、
特別な道が備えられている。それが個性ということ、それが恵みなのだ。
みんな、愛そのものである作者へと特別につながっている・・・
すべて、愛という動機なしには考えられない。
それがわからない、わかろうとしない者は「暴力」の手下となり果て、
その心は悪念のカタログ、その存在証明は「戦争」でしかなくなる。
だから、慈しみをこめてイエスはいい給う~
「たちかえるんだ。人は上から生まれなければ父なる神様とつながれないよ」。
お山の祈りは、"Grace be with you"。
飯豊からも。
今日は寝坊してしまって出だしが40分ほど遅れてしまいましたが、
何とか飯豊にまみえることがかないました。感謝。
(この後、雲さんがどんどん御出座、飯豊は隠れてしまいました)
大日岳。
御西岳。
飯豊本山。
霞ながらも黒い点、御西小屋です。今年は行けなかったなぁ。
さて、大磐梯へも寄るとしますか。
天狗岩の呼ばわる響に耳澄ませて・・・。
振り返って、櫛ヶ峰。いい時間をありがとう。
分岐を越えた処で、「koizumiさん?お久しぶりです、Obaraです」。
体が締まって別人の様?あれやこれやと歓談、四方山話。
弘法清水で息まず、山頂へ。
わぁ~、雪だ!ユキだ!~わたしは童子(わらしこ)か?(笑)
北面の雪は堪えてます。このまま根雪かな?
ふ~、大磐梯を頂きました。
近くに居られた方にお願いし、記念にパチリ。
陽精の頌に唱を合せる、湖。
陽精の激を背に下るとしましょう。
今日はピン長。大正解。
天狗岩は呼ばわります、「天を仰げ、天から生きよ」と。
後は、すたこら。
「また来な」と、お山の響。「ハイ」。
安達太良や川桁の衆のねぎらいエ~ルに与って・・・
無事の下山、
恵心の山路に
感謝、感謝。
fin