仲良く頌う北股岳と梅花皮岳。
『門内岳/恵撫(前篇)』からの続きです。
門内岳避難小屋でラーメンを食し了え、門内岳の山頂へ。
北股岳を行程から外したので、のんびり、まったりと眺覧、周覧。
門内岳を頂きました。
いつも此処は通過点。『山頂』となると不思議な感懐を覚えます。
山頂で憩うておられた方にお願いして、パチリ。
しばし、歓談、四方山話。
北股岳と語らいながら、一刻、ギルダ原の逍遥と洒落こみます。
門内岳と門内小屋。
たどって来た稜線。
雲湧く・・・
入門内沢。 あの先で石転ビ沢を合せます。
こうして私を立ちどまらせ、たたずませたのは、天の采配には違いない。~
それにしても何で私は山に登るのかな。ガタの来た体で、歩一歩、たどたどと。
もしも私が私の「登る」という振舞いの見返りに、その果てに
山を自己の中へ取り込もうとしているのなら、それはエゴイズムの変装に過ぎない。
そんなことをすれば、それは山を支配しようとすることに外ならず、
山との交わりなど破壊され、成り立たなくなる。山からの善意、恵みは・・・
ただ歩くという、祈りとしか言い様のない振舞いを透して待つしかないのだ。
人はみな、気が遠くなるような遠いとおい昔、無から創造された者として、
質料によってではなく、作者によって山と連帯しているのだから。
"Speak, my friend, for I am listening".
お山はただ黙って、肯っている。
いい時間を過ごせました。感謝。
さて、帰るとしましょう。足を労りながら。
一刻の憩いの空間に感謝。
"See you, later ". いとまを告げて。
お山の祈りは、"Grace be with you".
飯豊の香・・・
充満する精気に雍られて。
二つ峰の目送。
杁差岳。お久しぶりです。
北の地神が分岐。
頼母木小屋と鉾立峰。
神さまの刺繍、よくお似合いですよ。
そういえばこの小屋、30年以上前に一度泊まったっきり。また泊まってみたいな。
北の飯豊には朴実、朴厚がある。
"Grace be with you". また来ます。
往路の梶川尾根。
扇ノ地紙には品位がある。
足は何とかもちそうです。
黄葉、紅葉の祝福に与りながら・・・
後は、すたこら。
丸森尾根を転げ落ち・・・
飯豊山荘の前に投げ出されれば、山路は了わり。
梶川尾根のねぎらいエ~ルを享け・・・
無事の下山、
恵撫の山路に
感謝、感謝、感謝。
fin