今日(3/3)は、二ツ箭山へ。
雨はともかく、一昨日から昨日にかけての風はもう、台風レベル。
この風を、我が家が何とか遣り過せ、ほっと胸をなでおろました。
でも、台風一過?とくれば、上天気。
この枕詞にぴったりの朗爽、朗耀に恵まれました。感謝。
イヌフグリに迎えられ…

御滝沢の客に。

水に礼し、謙廉に合せられます。

水の精と語らいながら。

陽精と溌剌、二重唱。



山脊へ。

岩場に直下。

"天を仰げ、天から生きよ"と呼ばわります。

男岩にご挨拶。

女岩を頂けば、朗耀、朗爽。

そして、陽精の高らかな頌歌。
しばし、黙想。
フィギュアスケートの金メダリスト羽生選手は、インタビューの中で、
「私のしあわせがみなさんのしあわせになれば・・・」と、応えていました。
彼が自身のためにかちとった『金メダル』。
このメダルが、
不幸や嫌気、そして暴力が、様々にはびこっているこの世界にあって、
そうした毒気にうちかって、みんなの人生を明るませ、
そして、ある意味、浄化してくれたのだとするなら、それは、確かに、
みんなへの美しい贈り物=しあわせだったと、言わねばなりません。
「人から愛されるのは幸福な人間だけである」と、
哲学者アランは綴りました。そして、――
「幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ。
多くの出来事を乗り越えねばならない。
負けることだってある。
しかし、力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。
これはおそらく至上命令である。
幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない。
これは、何にもまして明白なことだと、ぼくは思う」とも。
見えるものと見えないもの、――しあわせって何でしょうか。
「不幸だ、不幸だ」と、打ちひしがれている人は、
よくよく考えてみるべきではないのか、まちがっていやしないかと。
「幸福」をおいやり、足蹴にしておいて、それを探そうだなんて、
それは、無理な相談です。
「人間にとって、真の幸福とは、
その存在と生活とが、神に祝福されるものになることです」と、
ある信心は、表白しました。
「神」を「仏」に、「天」に置き換えても、誰もしかりません。
空に流れる旋律は、"Grace be with you"

さて、テラスへ赴けば、常連のみなさんの憩い。
Y田さん、O内さん、~

そして、S籐さんの姿が。

まぜていただき、歓談、四方山話。

先に下られるみなさんを見送り・・・

しばし、まどろみ、慈光に沐浴します。

さぁ~て、そろそろ、帰るとしましょう。
修験台には、"夫婦岩"の二重唱。

谷に下り起ち、水の精にご挨拶。

水の時間に歩を合わせれば・・・

水の精が陽精とむつみます。

水と語らいながら・・・

のたりのたり。





水の翔逸、翔華、翔踊にあずかれば、山路は了わり。

梅のねぎらいにほっこり。

無事の下山、
朗達の山路に
感謝。
Fin