あるく

~山の恵みの備忘録~

二ツ箭山/朗達 2018年3月3日


 今日(3/3)は、二ツ箭山へ。
 雨はともかく、一昨日から昨日にかけての風はもう、台風レベル。
 この風を、我が家が何とか遣り過せ、ほっと胸をなでおろました。
 でも、台風一過?とくれば、上天気。
 この枕詞にぴったりの朗爽、朗耀に恵まれました。感謝。


 イヌフグリに迎えられ…
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 御滝沢の客に。
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 水に礼し、謙廉に合せられます。
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 水の精と語らいながら。
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 陽精と溌剌、二重唱。
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 山脊へ。
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 岩場に直下。
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 "天を仰げ、天から生きよ"と呼ばわります。
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 男岩にご挨拶。
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 女岩を頂けば、朗耀、朗爽。
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 そして、陽精の高らかな頌歌。
 しばし、黙想。

 フィギュアスケートの金メダリスト羽生選手は、インタビューの中で、
 「私のしあわせがみなさんのしあわせになれば・・・」と、応えていました。
 彼が自身のためにかちとった『金メダル』。
 このメダルが、
 不幸や嫌気、そして暴力が、様々にはびこっているこの世界にあって、
 そうした毒気にうちかって、みんなの人生を明るませ、
 そして、ある意味、浄化してくれたのだとするなら、それは、確かに、
 みんなへの美しい贈り物=しあわせだったと、言わねばなりません。
 「人から愛されるのは幸福な人間だけである」と、
 哲学者アランは綴りました。そして、――
 「幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ。
 多くの出来事を乗り越えねばならない。
 負けることだってある。
 しかし、力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。
 これはおそらく至上命令である。
 幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない。
 これは、何にもまして明白なことだと、ぼくは思う」とも。

 見えるものと見えないもの、――しあわせって何でしょうか。
 「不幸だ、不幸だ」と、打ちひしがれている人は、
 よくよく考えてみるべきではないのか、まちがっていやしないかと。
 「幸福」をおいやり、足蹴にしておいて、それを探そうだなんて、
 それは、無理な相談です。
 「人間にとって、真の幸福とは、
 その存在と生活とが、神に祝福されるものになることです」と、
 ある信心は、表白しました。
 「神」を「仏」に、「天」に置き換えても、誰もしかりません。


 空に流れる旋律は、"Grace be with you"
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 さて、テラスへ赴けば、常連のみなさんの憩い。
 Y田さん、O内さん、~
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 そして、S籐さんの姿が。
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 まぜていただき、歓談、四方山話。
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 先に下られるみなさんを見送り・・・
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 しばし、まどろみ、慈光に沐浴します。
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 さぁ~て、そろそろ、帰るとしましょう。

 修験台には、"夫婦岩"の二重唱。
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 谷に下り起ち、水の精にご挨拶。
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 水の時間に歩を合わせれば・・・
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 水の精が陽精とむつみます。
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 水と語らいながら・・・
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 のたりのたり。
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 水の翔逸、翔華、翔踊にあずかれば、山路は了わり。
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 梅のねぎらいにほっこり。
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 無事の下山、
 朗達の山路に
 感謝。


 Fin