あるく

~山の恵みの備忘録~

二ツ箭山/安然 2018年3月10日


 今日(3/10)は、二ツ箭山へ。

 予報は、気象庁を筆頭に、いずれの御方も自信をもって『晴れ』。
 殊更それに期待した訳でもないのですが、しかし、まあ、
 これだけ外れると、日頃、文明をやや疎んじている私としては?
 快哉にも似た感情を禁じえませんでした。(笑)
 雲も、友だちです。



 御滝沢には、溌剌。かなりの降雨があったようです。
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 礼すれば、謙廉。
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 水の旋律に耳澄ませます。
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 のたりのたりの谷歩き。
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 次いで、山脊へ。
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 岩場に直下。
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 "天へ、そして天から"と呼ばわる響。
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 男岩のエ~ルに応えます。
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 女岩を頂けば、雲の頌歌。
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 ん~、この空を見て「晴れ」という人はまずいないでしょう。
 『天気予報』~そもそも未来を「予言する」などと豪語して、この体たらくとは。
 「未来は現在に含まれている」という形而上学的前提、
 つまり「明日」はそれとわかる形ですでに存在しており、
 性能のよい機械と優れた技術さえあれば、それを見ることができるという、
 そうした暗黙の前提に、「予報」は起っているわけで…
 膨大な気象データ、そして何百億もするようなスーパーコンピュータがありゃ、
 天気の予報なんてちょちょいのちょい?とは言わないまでも、
 下駄を放り投げて占う「アニミズム」なんて笑止千万と、一蹴です。

 以前、TVの何かの番組で、ある職人さんが、造作のまずいものを指して、
 「こんな仕事でお金とっちゃあいけねぇよ」と言っておられました。
 それを「生業」にすることの矜持が丁丁と響く、すがすがしい言葉でした。
 まあ、でも、
 「コンピューターに主体性なんてありませんよ」なんて言われれば、
 それまでなんでしょうね。(笑)
 「主体性」は、何処へ?



 予報?それが何だって? 雲である雲は、高笑い。 
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 テラスに赴けば、常連さんたちの憩い。

 O内さん、M浦さんご夫妻にasanoさん、そしてS藤さん~。
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 交ぜていただき、歓談、四方山話。
 他愛ない話に山も笑います。
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 さて、みなさんを見送り…
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 テラスに一人。雲と語らいます。

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 陽精が、「寒くないかい」と顔を出してくれましたが、
 ただのお愛想でした。 
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 帰ります。


 修験台から、"夫婦岩"。睦まじい二重唱。
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 谷に降り起ち、
 通行の許可を請います。
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 水に礼して、時間を合せます。
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 歩一歩、語らいながら。
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 水の翔逸、翔華、翔踊に与れば…
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 山路は了わりです。
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 無事の下山、
 安然の山路に
 感謝。


 Fin