今日(3/10)は、二ツ箭山へ。
予報は、気象庁を筆頭に、いずれの御方も自信をもって『晴れ』。
殊更それに期待した訳でもないのですが、しかし、まあ、
これだけ外れると、日頃、文明をやや疎んじている私としては?
雲も、友だちです。
御滝沢には、溌剌。かなりの降雨があったようです。
礼すれば、謙廉。
水の旋律に耳澄ませます。
のたりのたりの谷歩き。
次いで、山脊へ。
岩場に直下。
"天へ、そして天から"と呼ばわる響。
男岩のエ~ルに応えます。
女岩を頂けば、雲の頌歌。
ん~、この空を見て「晴れ」という人はまずいないでしょう。
『天気予報』~そもそも未来を「予言する」などと豪語して、この体たらくとは。
「未来は現在に含まれている」という形而上学的前提、
つまり「明日」はそれとわかる形ですでに存在しており、
性能のよい機械と優れた技術さえあれば、それを見ることができるという、
そうした暗黙の前提に、「予報」は起っているわけで…
膨大な気象データ、そして何百億もするようなスーパーコンピュータがありゃ、
天気の予報なんてちょちょいのちょい?とは言わないまでも、
下駄を放り投げて占う「アニミズム」なんて笑止千万と、一蹴です。
以前、TVの何かの番組で、ある職人さんが、造作のまずいものを指して、
「こんな仕事でお金とっちゃあいけねぇよ」と言っておられました。
それを「生業」にすることの矜持が丁丁と響く、すがすがしい言葉でした。
まあ、でも、
「コンピューターに主体性なんてありませんよ」なんて言われれば、
それまでなんでしょうね。(笑)
「主体性」は、何処へ?
予報?それが何だって? 雲である雲は、高笑い。
テラスに赴けば、常連さんたちの憩い。
O内さん、M浦さんご夫妻にasanoさん、そしてS藤さん~。
交ぜていただき、歓談、四方山話。
他愛ない話に山も笑います。
さて、みなさんを見送り…
テラスに一人。雲と語らいます。
陽精が、「寒くないかい」と顔を出してくれましたが、
ただのお愛想でした。
帰ります。
修験台から、"夫婦岩"。睦まじい二重唱。
谷に降り起ち、
通行の許可を請います。
水に礼して、時間を合せます。
歩一歩、語らいながら。
水の翔逸、翔華、翔踊に与れば…
山路は了わりです。
無事の下山、
安然の山路に
感謝。
Fin