なつき、やすんずるキアゲハ。
今日(8/6)は、
阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』
及び、
堂山王子緑地環境保全地域
を見廻ります。
天気は曇りがち、その所為か、気温はそれほど上がらず、
お蔭で、汗はそこそこ。
悠悠閑閑、花や蝶と語らい、しずかな山を愉しめました。
感謝。
いつもの、門沢登山口から。
日向にはヤブが発達…。
歩一歩、樹々と語らいながら。
おや、アサギマダラ。
旅する渡り蝶、まだあどけなさが。旅はこれから?
"bon voyage"~
紅い純情が迎えてくれました。
山頂部着。まずは避難小屋のチェック。
牧野の部落の方々のお蔭で、展望台への径はさっぱりと。
ナデシコの鄭重なる迎候に与ります。
山頂展望台。
上がって、周覧。今日は曇り空…阿武隈はかすみます。
おや、登山者の方が。
お名前を伺うと、nemotoさん。近所の方でした。
階上でしばし歓談、四方山話。花がお好きな様です。
展望台を離れ、一帯を見回ります。
つつましい、ヤマユリ。
展望台に戻って、11時。ちょっと早いですが…
つましい昼餉といたしましょう。
食べているうちに、空は明るんで来ました。
雲は割れ…
陽精の御出座し。
あまり張り切らないで下さいね、暑くなるから。
さて、異状のあるなく、安堵。
帰りましょう。
花々にいとまを告げます。
水石。
しばし、阿武隈の調べにひたります。
8月2日、叔母が永眠。
霊よ、安かれ。
もう直ぐ、お盆。
哲学者、アランは曰う、――
"死者のための祭儀は美しい習慣である。…
呼びだしたいのは死者たちの思いであって、肉体でないのは
まったく明らかである。
彼らの思いが眠っているのはわれわれ自身のなかであることも
明らかだ。
そうは言っても、花や花環や花で飾られた墓などは、
やはりそれなりの意味をもっている。
われわれは自分の欲するようには考えないので、また思考の流れは、
われわれの見ているもの、聞いているもの、触れているものに
大きく左右されるから、ある光景を自らに与えて、
そこにまとわりついているイマージュを同時に喚起する…
死者たちは考えている、語っている、行動している。
助言し、欲し、承認し、非難することができる。
これらはすべて本当である。…
ふつう人間が自分のことを、ほんとうに自分のことを、
真面目になって考えることはまずないのだ。
われわれは自分と近すぎるのだ。
自己の正しいパースペクティヴ、つまりすべてのものを
それぞれにふさわしく位置づけることのできるパースペクティヴを
見つけるのは容易ではない。…
だから死者たちが何を欲しているかを自らに問うのは
すごく意味のあることだ。
ほら、よく見たまえ、よく聴きたまえ。
死者たちは生きようと欲しているのだ。
君のなかで生きようと欲しているのだ。君の生を通して、
自分の欲したものがゆたかに展開されることを望んでいるのである。
こうして、墓地はわれわれを生へと送り返してくれる"。
"未まだ生を知らず、焉んぞ死を知らん"、…
蝶の背中は、そう語っています。
うなずく、トラノオ。
あとは、すたこら。
無事の下山、
お山の懐樸に
感謝。
Fin