今日(12/3)は、
阿武隈高原中部県立自然公園『日山』(1,057M)
を見廻ります。
6月に、葛尾村の避難指示解除に合せ、
この山の見廻りを再開しました。
今回も、前回(6/11)同様、
環境放射線モニタリングを実施いたしましたので、
参考までに、略説します。
(相棒の線量計です)
(前回のモニタリングは、1~15の全域で実施しましたが、今回の行程は移登山口から日山山頂のピストンとし、1~9で実施しました)
1→「平地区公民館」前で、測定値は、0.11μSv/h。
2→「移登山口」が、0.49μSv/h。
2~4→この間は、0.32μSv/h~1.05μSv/h。
5→「移分岐」は、0.35μSv/h。
5~6→この間、0.91μSv/h~0.69μSv/h。
6~7→この間は、0.32μSv/h~0.99μSv/h。
8→この辺りで今回の最大値、1.72μSv/h。
9→「山頂部」は、0.32μSv/h~0.40μSv/h。三角点は0.51μSv/h。
*総じて前回(6/11)のモニタリングのときより、わずかながら、低い数値が得られました。
移ヶ岳のエ~ルに応えます。
途中でモニタリングをし、10分ほどで登山口。
落葉をサクサク踏みしめながら、
揚々の運歩です。
途中林道と出合い、電波施設。
もう冬枯れといっていい、情緒。
青空の讃歌に歩を合わせます。
移分岐で、稜線に乗ります。
古希をはるかに超えて颯爽…
「こごを、この落葉の上を歩ぐのが好ぎなんだ」と、弾みます。
のどやかな歩運に、心が和みます。
天王平。
落葉と語らいながら。
山頂は、間近。
『胎内くぐり岩』。
山頂の広場には、憩いと団欒。
展望台です。3.11に耐えました。
展望台上がって、周覧。
睦まじく、龍子山、鎌倉岳、大滝根山。
阿武隈の山々の合唱に耳澄ませます。
降りて葛尾の社で、ランチタイム。
息んで居られた白河の方と、柿など御ちそうになりながら、
しばし、歓談、四方山話。
昼餉を了え、おいとまです。
周辺のモニタリング、『展望岩』へ。
展望岩から、眺覧。
その哀韻に、深く懐います。
最近、地質学とも言うべき学問の分野に、
《アンソロポシーン》なる概念が出たそうな。
訳語は確定していない様で、「新人世」ぐらいの意であるとか。
大まかに定義すれば、
「人間の営為が地球の歴史的様態に
決定的な変化をもたらすようになった時代」
とのことらしい。
核エネルギーの利用開始をその始期とする考え方には違いない…。
それは、核エネルギーに限りません、
「地球全体の規模でいえば、
自然が守られなくては人間は生きられない。
森林がなくなったら農地も破壊されてしまう。
だから人間のさしあたりの利益よりも
自然の生命の方が優先権をもつようになった。
それは人間が自然全体を破壊できるほどの力を持つようになった
からである。人間は、いま
舟を食べて生き残ろうと考えている船乗りのようなものである。
『舟を食べるな』と命じて、
実行させるだけの力が人間自身にないならば、
人間は生き残れない」。
・・・・・・・
「人類は近代化によって、
『過去にはもう遠慮はしませんよ』
という文化をつくり上げた。
それが実は、
『未来世代にも責任を負いません』
という反面を含んでいる」
とは、加藤尚武の言葉。
『原発』から足を洗えないことも、
麻薬のような『文明』をたつことができないのも、
『新安保法制』も、『カジノ』法案も
みんな、そんな心性の延長線上にあるのでしょう。
人類が築き上げてきた自然観、
それが行き詰まっている今、
教育にこそ、
希望があるはずなのですが、――。
《アンソロポシーン》、
はるか未来の人間は、どのような感懐をもって、
この時代を括るでしょうか。
それが哀怨でないことを祈ります。
…今に生きる人々を、その文明を告発し続けます。
陽精は頌歌。
さて、広場にもどって、ひと息。
今日は、声をおかけした方だけでも19名。予想外の数でした。
山に登るのは楽しい、楽しいから山に登る、
そんな素朴な喜びに、
放射線は疎隔、疎外の溝をもたらしましたが、
山人は敗けませんね。
一帯に異状のあるなく、安堵。
帰ります。
落葉の歓声に包まれながら。
樹間には、龍子山。エ~ルがうれしい。
下り終えれば、鎌倉岳と…
移ヶ岳からの、ねぎらいとエ~ル。
無事の下山、
懐蔵のひと時に
感謝、感謝。
Fin