歓呼して迎えてくれた、陽精。
今日(11/26)は、二ツ箭山へ。
明日より今日の方が天気は良さそうです。
ただ、朝方の雑事で、遅い出発を余儀なくされ、
動ける時間は少なめ。
あそこにしようかここにしようか、少し迷いましたが、
なぜか、無性に洋umiが見たくなって、
ヴェクトルは東南、いわき市は小川へ…。
久しぶりに二ツ箭常連のみなさんの元気なお姿に接し、
燦然の太平洋を眺めながら、
のんびりとテラスで鍋焼きうどんを愉しむことが出来ました。
感謝。
御滝には、水の精。
その翔逸、翔華、翔踊…
礼すれば、その謙廉に合せられます。
御滝沢に水の響を聴きながら、
のたりのたり。
お久しぶりです。
水の精の讃歌が…
そして、頌歌が…
流れます。
耳清ませば、水の精の律動、
軽やかな調べが心に沁みて来ます。
〆張り場。
ここからは息を荒げて山脊へ。
落葉の、エ~ル。
山脊には初雪の意気地。
岩場に直下。ん~、久しぶりです。
宙に沐浴し、呼ばわる女岩。
30Mの鎖場を喘ぎ、男岩を分つ基部へ。
男岩の目迎に浴します。
この岩を攀じれば、女岩の頂き。
一息ついて、男岩。
"天を仰げ、天から生きよ"と、
呼ばわる響。
女岩を頂けば、陽精の讃歌。洋が燦々と唱和します。
遥々と天の音信。
孔子の言葉に、
"善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。
吾れ其の人を見る、吾れその語を聞く。
隠居し以ってその志を求め、義を行いて以って其の道を達す。
吾れ其の語を聞く、未まだ其の人を見ざる也"
とか。(『論語』、季氏第十六)
吉川幸次郎の釈義に頼れば、――
「善を見れば、
早く追求せねばおっつかないかのように熱心に追求し、
不善を見れば、
あつい湯の中につっこんだ手を、さっと引っ込めるように遠ざかる。
そうした人間を、私はこの目で見た。また、
そうした人間の存在を、古い言葉としても聞いている。
ところで下積みの隠遁者として生活しながら
自己の理想を追求しつづけ、
正義を行って自己の方法を貫通しようとする人間、
それはその存在を、古い言葉としては聞くが、
現実にはまだめぐりあわない。
~『未見其人也』、現実にはその人を見ない、といういい方は、
現実は容易に人間の可能性を具現しないという詠嘆であるが、
同時にまた、その可能性が、未来に向かっては、
あくまでも希求されていることを示す。
希求が深い故に、嘆息が深いのであり、嘆息のゆえに、
希求は強まる」と。
その未来とは永遠の今、その可能性も、その希求も、
連綿として、ひとり一人の中に、その心に、その宇宙に、
貴い"選び"として生き続けている。
人生は、嘆息ではない…。
"然うだ"と月山。
いい景色をたっぷりすって満溢。
さて、テラスへと赴けば、
asanoさんやS藤さん、O内さんと~常連のみなさんの元気なお姿。
まぜて戴き、久しぶりに歓談、四方山話。
この鍋焼きうどんはasanoさんのものの様に見えますが、
違います。私のです。(笑)
二ツ箭に懐かれて、しばし、まったり。
いい時間をすごせました。感謝。
そろそろ、帰りましょう。
asanoさんと、沢コースへ。日影には初雪が溌剌。
修験台から、"夫婦岩"。
睦まじい頌歌が、響きます。
沢に降り起ち、水の精に目礼。
すっかり渓になずんだ、3.11の落し物…。
いい景色を吸いながら…
口をついて出る言葉は、心溢れて、
悪口、軽口ばかり。(笑)
悪念はすべて茲に捨てて行けと、
お山の寛仁に与かりました。
無事の下山、
寛和の山路に
感謝、感謝。
Fin