今日(10/24)は、移ヶ岳へ。
ん~、上天気。気保養には、やはり山歩き。
奥羽の山並みこそ、雲さんたちがややたれこんで、
スッキリとした眺望が得られませんでしたが、
あぶくまの山山は朗朗と見晴らされ、エ~ルを頂戴、
すがしいひと時に、恵まれました。感謝。
ひょいと瑞峰平へ。
石切場分岐で、先行のご夫婦に追い着きました。
ここからは、私が先に。
アザミの鄭重なる迎候に与って・・・
ちょっとだけお助け紐の区間。
山頂は間近。
移ヶ岳を頂きました。
ふ~。眺覧、周覧のひと時。
吾妻、安達太良の稜線は雲がにぎやか。寄り合いかな?
磐梯山も垂れこむ雲にたじたじ。ご挨拶は不可。
でも、阿武隈は暢然。
おっとりとした、日山。
高柴、黒石、鞍掛の衆が仲よく居並びます。
片曽根山と田村市船引の市街をアップ。
このところ、片曽根山は熊出没の話題でもちきり。
後着の方にお願いして、証拠写真?をパチリ。
空も雲も・・・
そして、陽精も、みんな溌剌。
黙想の、ひと時。
文学者の高橋源一郎さんは、『毎日新聞』で「人生相談」を担当しておられます。
ある相談に応える中で、―
自身、50代半ばで男の子が続けて生まれたことをふり返り、
「いつもその瞳に見られていることで、
恥ずかしくない生き方をしたいとずっと緊張していました。一言でいうなら、
子どもたちのおかげで、少しはまともな人間になることができました。
親が子どもを育てるのではなく、子どもによって、未熟な人間が親になるのです。
感謝以外のことばは見つかりません」
と、述懐され、
重度の心身障害児を成年まで育てられ、筆舌に尽くしがたいご苦労があったであろう
或る父親の方が仰った言葉でその相談を結んでおられました。曰わく、
「この子がいなかったら、わたしは傲慢な人間になっていたでしょう。
わたしをまっとうにしてくれたこの子には感謝しかありません」。
育児も、介護(養老)も、神さまとの消息なのですね。
朗朗に沐浴する山々が雲が、「然うだ」と、相槌を打ってくれました。
いい時間を過ごせました。
帰るとしましょう。
All is best, though we oft doubt
What the unsearchable dispose
Of Highest Wisdom brings about,
And ever best found in the close.
~ Milton
fin