あるく

~山の恵みの備忘録~

移ヶ岳/朗耀 2021年2月28日

お~い、ばんだいさ~ん! 

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今日(2/28)は、移ヶ岳へ。

あれやこれやで身の回りが忙しくなってきました。

3月末まで山行は無理かなと、ほとんど諦めかけていたのですが、忙中閑あり。

朝な夕なに慣れ親しんでいるこの山に、ちょっと散歩のつもりで。

雲一つない登山日和。山中、サプライズもあって、感謝、感謝のひと時でした。

 

 

 瑞峰平に車をおき、いざ。 

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ほどなく、石切り場への分岐。山頂が見えて来ました。

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移ヶ岳を頂きました。

心の中のごちゃごちゃが、み~んな吸い取られ、天衷にそまります。

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頭のなかは空っぽ。呆けて、眺覧、周覧のひと時。

 

鎌倉岳。

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大滝根山。 

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高柴山~黒石山~鞍掛山。そして片曽根山。 

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那須連山。 

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二岐山と郡山の市街。 

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大磐梯と櫛ヶ峰。天狗岩も。 

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安達太良連峰、和尚山。 

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船明神、安達太良本峰、矢筈森、鉄山・・・ 

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そして、箕輪山。 

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一切経山、手前に吾妻小富士。 

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陽精の頌に唱を合せる峰々。 

総身に特別のエ~ルを頂戴。3月の用務要用の数多、乗り切れそうです!

 

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片曽根山に雍られて、田村市船引の市街。帰るとしますか。 

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すると、すたこら上って来られる方が。何とKさんではありませんか。

いやぁ、お久しぶり。一体、何年振りやら。 歓談、四方山話。

悲しいかな、その中に、存じ上げている方の訃報・・・・

 

山での再会を期して、それぞれの上り下りへ。 

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 ひとの生き死に、それにしても、何故・・・・・・・ 

ふと、独逸の神学者カール・バルトの言葉を想い起しました。

 

「生命の創造者、生命の与え手、またその主であり給う神は、

恵み深い神であるという認識に立つときにのみ、自殺はいけないということを、

確実に、そして疑問の余地なく基礎づけることができる。・・・

神が主権者なのであって、君がそうなのではない。

君の生命に対して責任を担い給うのは彼であって、君自身ではない。

彼がみずから意志し給うたことをなすのであり、

君がみずから欲しなければならぬと思い込んでいる事を、神がなすのではない。

彼がその御心を目標に至らしめるのであって、

しかもこれは、君の成功や失敗に左右されることはないのである。

彼が君を義とし、きよめ、栄光あらしめ給う。

そのようなことを、彼は君にせよと要求しておられるのではない。

君から要求されていることは、ただ神の御手にそれを委ねること、

彼がみずから与え給う恩恵を受け入れることによって、彼に服従すること、

だけである。

そうすれば、君はいかなる状況においても、決してひとりぼっちであることはない。

君は自分が四方から包まれているのを見出すであろう。

そして君の人生が、たとえどんなに挫折し、不幸であろうとも、

またどんなに無用で余計な存在のように思われようとも、

君は決して自己に絶望することはないであろう。

君の生命は神のものなのだ。だから、神のすべての天使が君と共にあり、

赦しと助けと希望とが、尽きることなく、無限に、

決して挫折することなきものとして、君のために備えられている。

だからこそ君は、たとえ自分の人生がいかに成り行こうとも、

自分の生命を投げ捨てようなどと、決して考えることができなくなるのである。

君は生きることを許されているのであって、生きなければならないというのではない。

・・・・・・・・・・・・・・・」

( Kirchliche Dogmatik Ⅳ )

 

天に在る、Sさんの霊よ、安かれ。

 

 

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瑞峰平には、のどかな時間。 

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無事の下山、

朗耀の山路に

感謝、感謝。

 

fin