今日(3/7)も、移ヶ岳へ。気忙しいときこそ、散歩?は大切です。
「忄」(りっしんべん)は心の字形から転じた偏だから、「忙」とは「心を亡くす?」。
心の中が、ガヤガヤゴチャゴチャだと、自分というものを見失いがち。
そんなときは、やはり山。
お山の天辺に起てば、天志、天衷に合せられます。
瑞峰平から、いざ。
のたりのたりと、春の山。
石切り場分岐を折れ、山頂へ。
山頂は、間近。
移ヶ岳を頂き、天辺に起ちました。ん~、爽快。
天志、天衷に触れ、未来の叫び声に耳澄ませます。
春光、麗らか、うららか。
ぐる~りと、眺覧、周覧のひと時。
まじまじと、船引の市街。そして、片曽根山。
峰々と思想の交換です。
大磐梯と櫛ヶ峰。
和尚山。
船明神山、安達太良本峰、矢筈森、鉄山。
箕輪山。
東吾妻山。
そして、一切経。
山のような人間になれたら、いいなぁ。
痛ましい報道が続きます。
ミャンマー、そして内モンゴル、~世界の至る所で、暴力が平然と闊歩している。
この、跳梁跋扈。
「肉体とは別に魂があり、魂は永遠のものであると知らなければならない。
この認識を深い信にまで高めなければならない。究極的には、
愛という神をつねに深く信じない人びとに、非暴力というものは縁はない」
とはガンディーの言葉。
この「信」なくして、平和のための経済的基礎は築けない。
この「信」のみ能く貪欲や嫉妬心、憎しみや欲情を克服する・・・
天はそのことをおしえている、切々と。
無事の下山、
天和の山路に
感謝。感謝。
fin