昔、道元禅師は山水を讃えて、曰く、
『而今の山水は古仏の道現成なり
ともに法位に住して究尽の功徳を成ぜり
空劫以前の消息なるがゆえに而今の活計なり
朕兆未萌の自己なるがゆえに現成の透脱なり
山の諸功徳高広なるをもて
乗雲の道徳かならず山より通脱す
順風の妙功さだめて山より透脱するなり 』と。
(『正法眼蔵』、「山水経」より)
同じ日本人ながら、精確に意を辿るのは至難の業。
久保田展弘氏の意訳にたのめば・・・、
「いま、目(ま)のあたりに見る山水には
古仏(祖師方)の道(教えが実現している。
この山水は山は山として、水は水として、
ともにその本来の生命のありかたを全うし尽している。
しかもそれは、世界が世界として形成される以前のありかたであるから、
まさに目のあたりに見る活きた生命の姿である。
また、自己が自己として萌さない純粋な自己であるから、
なにものにもとらわれない自己が、ここに貫かれている。
こうして 自己と一体といってよい山の功徳は、 果てもなく高く広い。
高くは雲に乗って天空へと昇ってゆく仏道の功徳。
広くは風にまかせて自在に飛びまわる妙なる功徳。
このいずれもが、必ず山からはこばれ、山からそのままつらぬき、
もたらされるのである。」
哀しいかな、放射線によって汚され、登山などという振る舞いも、
この辺りではもう、疎外されてしまった感があります。
放射能シンドロ~ムと呼ぶべきでしょうか。
F・U・K・U・S・H・I・M・A・・・
この名は、世界中の人々の憂いとなりました。
萎縮です。
山への motivation はブル~に染まり、
意識には無気力が沈殿して層を成し、・・・。
~とまぁ、でも、腐ってばかりでは頂けませんね。
ちょっと息抜き、慰安を求めて、裏山へ行って来ることに。
いざ、片曽根山へ。天気は良いのですが、ちょっと霞みがち。
登山口の田村市船引総合福祉センタ~です。
所長の K さんにご挨拶をして行きます。
Kさんです。田村や郡山の名桜、
そしてたくさんの山々の名ショットをものにしておられます。
その一部はこうしてセンタ~内に展示されています。