今日(2/3)は、二ツ箭山へ。
先の週は大雪の襲来で、わが町はすっかり雪国。
道がひどい状態になってしまい、ドライブが覚束なく、
山行の断念を余儀なくされましたが、
道の様子がほぼ回復。
潮待ちして舟を出すかの様に、いざ。
翔逸、翔踊…
水に礼すれば、その謙廉に合わせられます。
見方によっては鼻の穴、そして口?(笑)
陽の射しこまぬ処には、雪の一徹がありました。
水の響。
水の容。
〆張り場で沢にわかれ、山脊へ。
岩場に直下。
「天へ、天から生きよ」と呼ばわります。
男岩/女岩を分つ基部へと上がれば、月山の響。
残す女岩への階梯。
女岩を頂けば、
空にはうっすらと陽精の叙情詩。
そして、洋には頌詩。黙想のひと時。
いつものテラスには、
O内さん、Y田さん、asanoさん、~の姿。
譲座に与り、昼餉。
輪に交ぜていただき、歓談、四方山話。
Y田さん、asanoさんを見送り、テラスに一人残ります。
空には、寵沐…
「自然に帰れ」、「人間性を回復せよ」
とは、よく言われます。――
空も、雲も、太陽も、そして風も、直接には、感覚器への刺戟です。
感覚所与といい、すべての動物が共有しています。
人間があまたの動物と次元を異にするのは、
それらに意味を見、解釈を与える、意識の発達だと、言われます。
意識が、「快」を、「役に立つもの」を求めて、
原子力をつくり、コンピューターをつくりました。
でも、残念ながら、「意識」そのものには、
人間の、「快」に依存し、隷属する悲しき性(さが)を
是非する能力、実力が、無いようです。
「彼らは役に立つものだけを生産したいと思っているが、
役に立つものを造りすぎると、その結果、
役立たずの人間をよけい作ることになるのを忘れている」
と、昔、知の巨人は喝破しました。
至言と言えば、至言。
いずれ、「役に立たぬと捨てたもの」に、
悔いを迫られることになるのでしょう。
人間は意識を超えた何ものかである、――そのことを、
歴史に数ある宗教は、その限定を超えて、指し示しています。
人間は自然の一部なのだ、
自然に帰れ、山に登れ、人間性を回復せよとの響が、
自然を超越した場処から聞こえてきます。
人間は、自分が造ったものに隷属し、悩まされている。…
空も、雲も、太陽も、風も、みんな、意識にではなく、
天に生きています。
お~い、磐梯山。
さて、帰りましょう。
いつもの沢コース。
修験台から、"夫婦岩"の二重唱。
沢に降り起ち、水の精にご挨拶。
通行の許可を請います。
寒を透して水の頌。
唱和しながら。
日向はすっかり雪が融けました。
日陰は融けそうもなく。
水の精の、翔踊、翔逸、翔華に与れば…
山路の了わりです。
無事の下山、
和悦の山路に、
感謝。
Fin