あるく

~山の恵みの備忘録~

二ツ箭山/和悦 2018年2月3日


 今日(2/3)は、二ツ箭山へ。
 先の週は大雪の襲来で、わが町はすっかり雪国。
 道がひどい状態になってしまい、ドライブが覚束なく、
 山行の断念を余儀なくされましたが、
 道の様子がほぼ回復。
 潮待ちして舟を出すかの様に、いざ。 


 翔逸、翔踊…
 水に礼すれば、その謙廉に合わせられます。
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 見方によっては鼻の穴、そして口?(笑)
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 陽の射しこまぬ処には、雪の一徹がありました。
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 水の響。
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 水の容。
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 〆張り場で沢にわかれ、山脊へ。

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 岩場に直下。
 「天へ、天から生きよ」と呼ばわります。
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 男岩/女岩を分つ基部へと上がれば、月山の響。
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 残す女岩への階梯。
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 女岩を頂けば、
 空にはうっすらと陽精の叙情詩。
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 そして、洋には頌詩。黙想のひと時。
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 いつものテラスには、
 O内さん、Y田さん、asanoさん、~の姿。

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 譲座に与り、昼餉。
 輪に交ぜていただき、歓談、四方山話。

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 Y田さん、asanoさんを見送り、テラスに一人残ります。
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 空には、寵沐…

 「自然に帰れ」、「人間性を回復せよ」
 とは、よく言われます。――
 空も、雲も、太陽も、そして風も、直接には、感覚器への刺戟です。
 感覚所与といい、すべての動物が共有しています。
 人間があまたの動物と次元を異にするのは、
 それらに意味を見、解釈を与える、意識の発達だと、言われます。
 意識が、「快」を、「役に立つもの」を求めて、
 原子力をつくり、コンピューターをつくりました。
 でも、残念ながら、「意識」そのものには、
 人間の、「快」に依存し、隷属する悲しき性(さが)
 是非する能力、実力が、無いようです

 「彼らは役に立つものだけを生産したいと思っているが、
 役に立つものを造りすぎると、その結果、
 役立たずの人間をよけい作ることになるのを忘れている」
 と、昔、知の巨人は喝破しました。
 至言と言えば、至言。
 いずれ、「役に立たぬと捨てたもの」に、
 悔いを迫られることになるのでしょう。
 
 人間は意識を超えた何ものかである、――そのことを、
 歴史に数ある宗教は、その限定を超えて、指し示しています。
 人間は自然の一部なのだ、
 自然に帰れ、山に登れ、人間性を回復せよとの響が、
 自然を超越した場処から聞こえてきます。
 人間は、自分が造ったものに隷属し、悩まされている。…


 空も、雲も、太陽も、風も、みんな、意識にではなく、
 天に生きています。
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 お~い、磐梯山
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 さて、帰りましょう。

 いつもの沢コース。
 修験台から、"夫婦岩"の二重唱。
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 沢に降り起ち、水の精にご挨拶。
 通行の許可を請います。
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 寒を透して水の頌。
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 唱和しながら
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 日向はすっかり雪が融けました。
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 日陰は融けそうもなく。
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 水の精の、翔踊、翔逸、翔華に与れば…
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 山路の了わりです。
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 無事の下山、
 和悦の山路に、
 感謝。

 
 Fin