庭に福寿草の蕾が、ぽつぽつ。
さすがに、この「大」の字の意味が身にしみたこの頃でした。
先の週は、降雪に見舞われ(いや、恵まれたというべきか?)、お山は観念。
白一色になった我が家の庭が、だんだんと解かれ、片隅に、ひょっこり、
福寿草の蕾が。うれしいな。
さて、ソクラテスによれば「知る」とは「行なう」ということ。
医学の知識は病気を治し、建築の知識は家をつくります。
だから、なにもできない知識は無意味だと。…
報道に、『毎月勤労統計不正問題』がかまびすしい。
孔子の言葉に、
「政なる者は正なり。
子、師いるに正しきを以ってせば、孰か敢えて正しからざらん」とか。
意を酌めば、
「諸臣の師であるあなたが、正しさによって人人をみちびいたならば、
だれがあえて不正をおかしましょうか」となる。(吉川幸次郎釈)
論理学では、「AならばB」という形の命題に対して、
「BでないならばAでない」という形の命題を、対偶というそうな。
してみると、優秀な官僚のみなさんが、あえて不正をおかすのは、
その師たる宰相が、正しさで人人をみちびいていないから?
そうでないことを、願いたいものです。
花には、ひとすじの気持ち。
このまなざしにたえられる人間でありたいと、希う。
Fin