あるく

~山の恵みの備忘録~

二ツ箭山/春閑 2019年1月19日

 登山口には、春の使者。梅の花が迎えてくれました
イメージ 31


 今日(1/19)は、二ツ箭山へ。
 風こそ、つよくありましたが、岩頭に起てば、陽明の祝福。
 燦爛の洋を眺めながら、のんびり、のほほん、鍋焼きうどんを食し、
 朗暢、朗達のひと時に恵まれました。

 

 御滝へと、分け入ります。
イメージ 1


 水に礼すれば、その謙廉に合わせられます。
イメージ 2


 今日は、初っ端で拾い物。落とし主を捜しながら、すたこら。
イメージ 3


 〆張り場から、山脊へと、息を荒げます。
イメージ 4


 岩場に直下。
 "天を仰げ、天から生きよ"と、呼ばわる響。
イメージ 5


 ちょっと、渋滞?
イメージ 6


 基部へと上がって、ひと息。月山のエ~ルに応えます。
 風に抗して、アウターを着用。
イメージ 7


 攀じり了えて、男岩。
 呼ばわる響は、"Grace be with you"。
イメージ 8


 風の歓待を受け、女岩を頂きました。
 (此処で、8人目にして、やっと、落とし主が。お渡しして、捜索?落着。)
イメージ 9


 陽精には頌歌、そして、唱を合せる洋。その交響に、耳澄ませます。
 ん~、いい気持ち。
 
 哲学者のアランは、『習慣』を、
 「考えずに、また考えているより良く行動する技巧」と定義しました。
 けだし、山に登る、という習慣は、直截には、足の促しによるもの、
 だから、足は前頭葉より上位の部位であるに違いありません?
 山を楽しむ者は、前頭葉に隷従する者より上位の、より高次の存在者なのだと、
 自負しているのですが、手前味噌かな?(笑)
 それはともかく、こうして、
 山に上る者は、その頂きで、豊かな天然、自然の祝福に与るのですから、
 よりしあわせな存在であることだけは、まちがいなさそうです


 陽精は、燦燦の然り。"Grace be with you". 
イメージ 10


 洋の応答は、どこまでも、ただ真率。
イメージ 11



 さて、テラスへ。常連のみなさんの溌剌。
イメージ 12


 igaさん、S藤さん、M藤さん、O利さん、~交ぜて頂き、歓談、四方山話。
イメージ 13


 今日も、私は鍋焼きうどん。(笑)
イメージ 14


 陽精の祝福にあずかり、まったり。
 
イメージ 15


 いい時間を、過ごせました。
 そろそろ、おいとましましょう。

 帰りは、沢コースへ。
 修験台から、睦まじい"夫婦岩"。
イメージ 16



イメージ 17


 沢床へと降り起って…
イメージ 18


 水の精にご挨拶。その時間に合わせられます。
イメージ 19



イメージ 20


 たどたどと、言葉を交わしながら。
イメージ 21


イメージ 22


イメージ 23


イメージ 24


 水の翔逸、翔踊。それは、ポエトリー。
イメージ 25


イメージ 26



イメージ 27


 御滝に礼して、山路の了り。
イメージ 28

 すると、kanekoさんが。
 これからはいるとのこと。お気を付けて。
イメージ 29



 駐車場で、梅の花の、懇ろなねぎらいエ~ルをうけ…
イメージ 30


 無事の下山、
 春襟の山路に、
 感謝。


 Fin