登山口には、春の使者。梅の花が迎えてくれました。
今日(1/19)は、二ツ箭山へ。
風こそ、つよくありましたが、岩頭に起てば、陽明の祝福。
燦爛の洋を眺めながら、のんびり、のほほん、鍋焼きうどんを食し、
朗暢、朗達のひと時に恵まれました。
御滝へと、分け入ります。
水に礼すれば、その謙廉に合わせられます。
今日は、初っ端で拾い物。落とし主を捜しながら、すたこら。
〆張り場から、山脊へと、息を荒げます。
岩場に直下。
"天を仰げ、天から生きよ"と、呼ばわる響。
ちょっと、渋滞?
基部へと上がって、ひと息。月山のエ~ルに応えます。
風に抗して、アウターを着用。
攀じり了えて、男岩。
呼ばわる響は、"Grace be with you"。
風の歓待を受け、女岩を頂きました。
(此処で、8人目にして、やっと、落とし主が。お渡しして、捜索?落着。)
陽精には頌歌、そして、唱を合せる洋。その交響に、耳澄ませます。
ん~、いい気持ち。
哲学者のアランは、『習慣』を、
「考えずに、また考えているより良く行動する技巧」と定義しました。
けだし、山に登る、という習慣は、直截には、足の促しによるもの、
だから、足は前頭葉より上位の部位であるに違いありません?
山を楽しむ者は、前頭葉に隷従する者より上位の、より高次の存在者なのだと、
自負しているのですが、手前味噌かな?(笑)
それはともかく、こうして、
山に上る者は、その頂きで、豊かな天然、自然の祝福に与るのですから、
よりしあわせな存在であることだけは、まちがいなさそうです。
陽精は、燦燦の然り。"Grace be with you".
洋の応答は、どこまでも、ただ真率。
さて、テラスへ。常連のみなさんの溌剌。
igaさん、S藤さん、M藤さん、O利さん、~交ぜて頂き、歓談、四方山話。
今日も、私は鍋焼きうどん。(笑)
陽精の祝福にあずかり、まったり。
いい時間を、過ごせました。
そろそろ、おいとましましょう。
帰りは、沢コースへ。
修験台から、睦まじい"夫婦岩"。
沢床へと降り起って…
水の精にご挨拶。その時間に合わせられます。
たどたどと、言葉を交わしながら。
水の翔逸、翔踊。それは、ポエトリー。
御滝に礼して、山路の了り。
すると、kanekoさんが。
これからはいるとのこと。お気を付けて。
駐車場で、梅の花の、懇ろなねぎらいエ~ルをうけ…
無事の下山、
春襟の山路に、
感謝。
Fin