あるく

~山の恵みの備忘録~

磐梯山/常連のかたち 2009年8月9日

 雨が降りそうな、そんな気がして磐梯山に。
 猪苗代スキー場に車をとめて準備をしていると、隣に車が入る。
 出て来た外人さんが「どこから、どういう風に登るのですか?」と訊いてきた。
 流暢な日本語につい私も日本語で「あそこをこう行ってそれから~」と説明する。
 先月この山で出遭ったヨーロッパはスペインの近くの何とかという国のご夫婦、
 彼らのbroken English!と私の東北弁混じりのbroken Englishとの
 壮絶な格闘を思えば、感激である。
 予感通り、上り始めたゲレンデには雨が。
 用意の傘を差して快調に歩き、辿り着いた弘法清水小屋は、常連さんや、
 この雨にもめげず服を濡らせて来た登山者の方々で賑わっていた。
 さすがは夏休み、若い人が多い。
 小屋で吉田さんご夫婦、常連さん、居合わせた方々と語らいながら食事休憩。
 後、山頂ピストン。
 忙しそうなので、油売りはそこそこにお暇する。
 途中、火口縁に上がってきた常連の長谷川さんとスライド。
 話し込んでいると、常連の鈴木さんが追いついて来た。一緒に下山することに。



 「常連」(「定連」)、
 「連」が音で「練」、「恋」、「斂」に通じて好い。
 英語で言えばrepeater だが、圧して日本語の余韻に軍配は上がる。
 敷衍して雑な言い方をすれば、「常連」の山とは「気の置けない」山であろうか。
 遠慮や緊張が要らない、気を使う必要がない、と言うほどの意味だが、
 裏返せば気を緩ませる危ない「習慣」ではある。

 磐梯山では、私も多分「常連」の端くれに数えられているのだろうが、
 いまでこそ南会津には足が向かなくなったものの、飯豊に足は繁く、
 里山の気安さに遊び、この山に毎週という事はない。
 しかし、その「毎週」の方が何人もおられる。

 山が好きでも、よほど時間とお金に恵まれなければ、
 暇に飽かして日本中の山に遊び、
 はたまた勢い余ってスイスアルプス、ヒマラヤトレッキングにと
 眼を足を喜ばせる事など出来る物ではない。
 普通に日常の手枷足枷があれば、自然と足が向く山は限られ、
 身の丈に合った距離と時間、そして十分な達成感があれば
 通うことになる。

 ああ、自分はこの山と一生、足が許す限り付き合うんだろうなぁ、
 付き合わせてもらいたいなぁ・・・それが常連の心だろう。
 山の彩りは訪れる度に変り、眼を愉しませ、心躍らしめる。
 修練の山、或いは生涯の山、運命の山と言っても可い。

 こうした「常連=定恋」の心は、
 近代的なアルピニズムとは無縁ではあるけれど、
 そうした~ism が失いがちな心象のある大切な部分が
 ほのかに見え隠れしている。

 定恋(じょうれん)の山を有っている人は幸いなるかな。

     



 山頂です 今日は気温もそこそこ・風もないので雨具なしの人が多いです
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 ガスに蔽われています
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 下りをご一緒した常連の鈴木さん(郡山市
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 速い早い、磐梯山の韋駄天? 常連の長谷川さん(郡山市
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                                  完