倦むことなく呼ばわる、天狗岩。ソクラテスのごとくに。
今日(10/13)は、磐梯山へ。
予報に晴れマーク。秋朗、秋光を期待しましたが、溌剌、雲気、雲興。
勇んで、櫛ヶ峰→大磐梯→赤埴山と巡りはしたものの、
眺望に恵まれたのは、初めのうち、櫛ヶ峰だけでした。
いつもの、猪苗代スキー場から。ゲレンデトップに起って、ひと息。
赤埴の山脊にのり、
葉がだいぶ落ちた秋色の径を、のっしのっし。
湖の響に励まされて。
雲海に沈む会津盆地。
お山は、誇らしげに、秋の晴れ着。
なかなかに雲が上がらぬまま、沼の平へ。
いつもの場処で、ひと息。パン1/3個。
櫛ヶ峰へと分け入れば、雲間から吾妻のエ~ル。
いざ。
雲に祝福され、頂きに。
どっかと陣取り、雲が退くのを待ちます。パンの残り&おにぎり1個。
しばらくして…
大磐梯が御出座し。
眺覧、周覧のひと時に恵まれました。
とは言っても、既に、待って時間をだいぶ費やしました。
語らいながら降ることに。
天狗岩の主張。
踏み跡がヤブ化して敬遠しがちな西端を回ります。
「裏」磐梯を一望。
でも「表」「裏」など、人間の方便。山に表も裏もありません。
此処に起てば、即座に、この山のエッセンスが察せられ、了知されます。
「子曰わく、三軍の師を奪う可き也。匹夫も志を奪う可からざる也」
とは、孔子の言葉。
吉川幸次郎の釈義に聴けば、―
「三軍」とは、軍備としてある三個師団三万七千五百人である。
地上におけるもっとも強い力の一つのように見える。しかし、
烏合の衆であることもあり、また、そうでなくとも、単一の主体でない。
だからその中心になっている「師」、即ち総大将を、どこかへ連れていける。
それに対し、一人の人間の中心になるもの、それは「志」であるが、
人間が、一旦こうと決めた志、それをかえさせ、かすめとることはできない…
とか。
負けるが勝ち、とはよく言われます。
彼の生涯が「勝利」となるのかどうか、それは、彼の「志」、
そしてそれを析出せしめる「信」の如何にこそ、かかっています。
過去に、似たような経験をした者として、自戒したい、
自戒せよと、お山の響。…
「おいらには志がある」と、天狗岩。
天狗岩と語らいながら。
櫛ヶ峰に礼して。
「天だ!」、「天を仰げ」、「天から生きよ」と、
天狗岩は呼ばわります。
大磐梯を頂けば、雲の祝福。
人だかりにいたたまれず、おにぎり1個食べて、退散。
登山者は引きも切らず、大渋滞。
弘法清水で、お土産に3ℓ。
後は、すたこら。
沼の平にいとま。
赤埴山への途上、雲の襲来。沼の平がかすみます。
赤埴山頂でしばらく待ちましたが、雲は退きそうもなく、眺望はなし。
ヤマハハコに礼して、拝辞。
陽光があたればなぁとおしみつつ。
ゲレンデトップ着。秋を頌う、ススキ。
川桁山のねぎらい、エ~ルに応えます。
無事の下山、
懐楽の山路に
感謝、感謝。
Fin