今日(1/18)は、二ツ箭山へ。
阿武隈に雪の海原を現出させた
木曜日の風雪は、
南国いわきのこのお山にも、
踪跡を残しましたが、無問題。
水声、風声の諭し、
陽精の歓待に与りました、
感謝。
今日もバッタリ、jinboさん。
健爽が走ります。
水の精にご挨拶。
氷凝で寒気を昇華、唱を合わせます。
水光、水鑑、遊ぶ陽精。
水の謙廉に合せられます。
勾配に喘ぐと、M浦さんご夫妻。
”お久しぶりです”。
きりりと雪景に恵まれた稜線。
足はうきうき。
岩場に直下。呼ばわる声に耳澄ませます。
”ん~?”、怪しげな人影が。
何と、ロッククライミング~。
一挙手一投足に、しばし、目が釘付け。
岩場を攀じれば、陽彩。
陽精のエ~ルを押し戴きます。
”天を仰ぎ、天から生きよ”と、男岩。
清雪が合いの手。
いつものテラスには常連の皆さんの熱気。
混ぜてもらいます。
”常連”という振る舞い、その心意気。
論語、為政第二の中に、
”子曰わく、
其の以いる所を視、その由る所を観、
其の安んずる所を察すれば、
人焉んぞ廋さんや、人焉んぞ廋さんや”とか。
吉川幸次郎の釈義を借りれば、
「人間を観察する場合、その人の行動を観察し、
また、その行動そのもののみでなく、
行動の動機を観察し、さらに行動の落着くところ、
即ち、行動の目的とするところを考察すれば、
その人間の真実はおおうところなくあらわれる、
かくそうたって、かくしきれるものではない」。
みんな、たぶん、きっと、
山のような人間になりたいんだろうな、
そんな思いが過りました。
恥ずかしながら?の私。
周回のjinboさんと別れ、
私は”鍋焼き”タイム。
三々五々、常連さんが去って、独り。
宙soraに沐浴yuamiするひと時。
風声が、プネウマが、さとします。
やさしい陽精。
さて今日は、沢を降ります。
修験台から”夫婦岩”。
睦まじい二重唱が宙soraに響き渡ります。
沢へと降り起てば、
寒に促されて咲く、氷花。
それは氷潔、清い心。
氷心の機微に和みます。
小さくも、はげしい・・・
水の心。首を垂れて。
無事の下山、
愉快な出会い、天然の陶冶に
感謝、感謝。
Fin