あるく

~山の恵みの備忘録~

月心地蔵

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『月心地蔵』   



「御幣松尾根」(オンベ松尾根)。――
 飯豊の地図にこう表記されている登山道は、昭和二十五年に飯豊連峰が国立公園の指定を受けた翌年に「オンベイ松尾根新道」として伐開されたもので、その先頭に立ち労を厭わず1ヵ月近くも山に入り伐開作業をおこなった猪俣次郎の功績を称え、藤島玄は「次郎新道」と命名したと謂う。
 昭和二十七年、岳人の実川遡行の案内兼人夫として同行した際、彼は不慮の事故死を遂げたのだが、その後岳人によって浄財が募られ、彼の法名月心(彼は僧侶であった)にちなみ、彼が伐開の際発見した水場(月心清水)の分岐に、月心地蔵がまつられた。
(以上、五十嵐篤雄著『飯豊道』所収の「次郎の墓」に拠る)

 私は数ある飯豊の登山道の中で、この尾根を篤愛のコースとする。妖しいまでのブナの美林に囲まれた湯の島小屋、そしてその界隈の静寂。二つのゲートで閉ざされることによって創りだされたこの空間は、訪れる者に不思議な安らぎを与えてくれる。もちろんこんな桃源郷もアブ、ブヨ、蚊、そして時には大スズメ蜂、はたまた運がわるければ熊さんと・・・いいこと尽くめではない。
 そして、並みの健脚では一泊を要する大日岳の頂に、日帰りで「やぁ、ちょいと上がらせてもらいますね」と、お勝手口からの気安さで上れるのがいい。加えて、急峻な尾根を登り詰め、早川の突き上げに躍り出たときの感激。あの烏帽子山、そして西大日岳~大日岳への稜線は、この山を東側から眺める事に慣れてしまった者には圧巻とすら言ってよい。牛首山のアップダウンを大日岳へと胸躍らせながら歩み寄っていく時間は、この上ない喜びだ。
 しかしそれだけだろうか。オンベを思う時、必ず、私のイメージからは月心清水の分岐に安置された地蔵の姿が離れない。寂かに見守っている、その寂けさがいい。月心、猪俣次郎のいのちは、この尾根、この登山道そのものなのだ。この尾根を、むしろ、月心尾根と私は呼びたいが、それを訴える程の生意気は生憎持ち合わせていない。しかし、この尾根に遊ぶ者、遊ばせてもらう者には、この物語に無知であって欲しくないと、私は思う。




(6/23記)