あるく

~山の恵みの備忘録~

そうび、装備

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以前、石転び沢の出合で休んでいた時、たまたま出会った知人が、近づいて来た一人の男性に「Hさんですか?」と声をかけた。「そうです」。その、(後で知った事だが)私とほぼ同年のまだ童顔の少し残る「青年」は、はにかみながら答えた。
私自身、福島県人であるし、あまり「岳人」との交際もないのでわからなかったが、新潟の岳人でこの人を知らない者はいないと言う。
何故、こんな何年も前のことを鮮明に記憶しているかと言うと、それは彼の出で立ちである。Tシャツにジャージ、ちょっとお疲れ気味の長グツ(ピンなど無い普通の!)にそこらで拾って来たというやや電光がかった棒っ切れ1本…。
ここは石転び沢の出合。この先は進めば進むほど勾配を増し、最大斜度45度を超えんとする硬い雪の斜面を擁する雪渓である。「おい、おい、大丈夫なのかよ、お兄さん」というのが、その時の私の印象であった。
しかし、彼は私のはるか先方を、アイゼンもなしにひょいひょい颯爽と上り詰めて行ってしまい、私自身はと言えば、あまり軽くはない山靴に10本爪のアイゼン着けて、ピッケル挿し射し、ひ~こら言いながら、梅花皮小屋にへたり込んだのだった。
「ハァ~…」、装備をしっかりとは言うけれど、この彼我の違いは何? 
泊まりの時などもそうだ。片やたくさん着込んでダウンもこもこのシュラフに潜り込んで寝ても朝方鼻声で咳き込む人もいれば、シュラフカバー1枚で平気の(ように見える)人もいる。その他の装備一つ一つについても同じことが言えそうだ。

ある山行における、その当事者にとっての装備の「必要・十分」条件は、決定的にその人の、山で鍛え上げられた度合い、技量にスライドする。
高名な登山家・山野井泰史氏は雑誌のインタビュウで言っている、
「よく、装備が少なくなると不安になるといいます。だから、多くの人は万が一に備えて非常食やツエルトなど、あれもこれもと携行している。でも私はそんな安心よりも荷物がない開放感を優先したい。体の軽さ、そして自由な感覚が好きなんです。だから、荷物がないほうが楽しいし、山を味わえる。それに、僕の場合は、燃料がきれたって、食料が数日なくてもなんとかなるから」。
ここまでくるともうJAZZで言えばSWINGの世界なので、聞いている分には「ふむふむ」だけれど、もう常人の域ではない。

「山はハートで登るものだ」と誰かが言っていた。
もちろん、パンツ一丁で厳冬の剱岳に挑むなどという「精神主義」(?)を言っているのではないのは当然だが、その延長として、軽量化はいつも大きな課題だろう。自分として装備の中で何を落とすか、必要にして十分、そのぎりぎりをどこに置くか…。
結論で言えば、たかが二、三日なのだ。我慢できるものは我慢すればいい。荷物が軽くなってラクになれば、疲労でその辺の浮石に躓くこともなくなる。「何かあった時」のために備えて、あれもこれもと担いで疲労困憊し、ために「何かあった」のでは笑い話になりかねない。生きるための野性や本能を退化させないためにも、山の達人たちの境地、その刺激を大切にしたい。

~残念ながら私のザックはまだ重い。

                                        (5/31記)