霧霜、霧氷をまぶし、明潔の大磐梯。
今日(11/18)は、磐梯山へ。
先の週以降、雪意なく、冬の足取りは、二歩退いたままの様子です。
猪苗代の町にしっかりと雪が降ろうものなら、私は、車がご法度に。
冬将軍が「ぼ~っと」しているうちは?お山の招きに応えましょう。(笑)
いつもの猪苗代スキー場から。ゲレンデトップに起ちました。
赤埴の山脊、岩の上から、湖を眺覧。
雲の絡みは頂稜部だけ。先の週より、ずっといい。
沼の平へ。
いつもの場処で、ひと息。
お山の響に耳澄ませば、その時間に合せられます。
先ずは、櫛ヶ峰へ。
稜に起てば、かなたには、飯豊の清澄。一帯の空気を統べります。
風がおさまりそうで、おさまらず。寒い~!
ふ~、霧氷をパリポリ落として、櫛ヶ峰を頂きました。
ひと息入れて、パンを頬張ります。
眺覧、周覧のひと時。
お山の衷懐が…
沁みてきます。
めぐみいつくしむ、いいで。
黙想。
お山に、わるい考えはみんなすいとられ、ぽつり。
虚しくなった私の心に、いいでから、いいおもいがそそがれます…。
大地の懊悩、それは、あわれみの深さに違いない。
いい時間に、感謝。
辞して、大磐梯にも寄ることに。
天狗岩と、語らいながら。
"天を仰げ、天から生きよ"と、呼ばわります。
弘法清水へ。北面は霧霜、霧氷で白髪状態。
上へ行けば行くほど…
岩という岩のおもてにも霧霜、霧氷が。
滑らぬよう、抜き足差し足忍び足?
朗爽の大磐梯を頂きました。眼下には朗耀の湖。
なんと祠の側で、会津坂下のkuwabaraさんとバッタリ。
お久しぶりです。
2014年3月の東尾根以来、四年半ぶり?再会を祝して、パチリ。
御歳、八十を超えて、矍鑠(かくしゃく)。畏れるばかり。
しばし、眺覧、周覧。
お腹が空きました。つましく?カップの大盛りを。
こちらでも、いい時間を過ごせました。感謝。
おいとまします。
霧氷の回廊へと。
すると、上りの方と目が合い、彼は、私の長靴を見るなり、"koizumiさん?”
やはり、越後のtoujimaさんでした。2016年12月の二ツ箭山以来、2年ぶり。
彼も長靴、"長友"です。(笑)
飯豊や朝日の峰々を天狗のように駆け巡る方ですが、5年ぶりの磐梯山とか。
この上天気、是非、櫛ヶ峰へもお寄りくださいとお勧めして、おいとま。
弘法清水でお土産に、1.5リットル。
吾妻から雲が一掃され、頌歌が響きます。
沼の平に閑歩。
いつもの場処で、ひと息。
しばし、懇談 ?
『論語』の一節に、
『色みて斯に挙がり、翔りて而る後に集まる。
曰わく、山梁の雌雉、時なるかな、時なるかな。…』とか。
吉川幸次郎に拠って、大意を酌めば、―
「鳥は人の顔色を見て何か危害を加えられそうであれば、すぐ飛び立つ。
またその辺をとびまわって、よく偵察してから、木にとまる。
そういう風にしている雉を、孔子は山の中で見かけ、感想をもらした。
"山の中の丸木橋にいるめすの雉よ。彼女は時節をよく知っている。
時間の流れの上に起こる環境の変化に応じて、うまく自分の身を処置している。
つまり鳥はうまく歴史の変化に応じうるのに、人間はそうでない…"」。
これは、今風には、NHKで人気のチコちゃんの言葉、
「ボ~ッと生きてんじゃねえよ」に、ちょっと、通じるかも知れません。
(付記されている英訳は、~ "Don't sleep through life" )
山は山であることによって、その「時」を得ています。
人よ、お前も、かくあれかし、目を覚ましていなさいと、お山の響。
沼の平に別れ、赤埴をトラバース。
"また、来な"。
お山の祈りは、"Grace be with you"。
湖が、陽精と頌います。
ゲレンデトップに。
湖のねぎらい、そして…
お山に礼し…
無事の下山、
明潔の山路に
感謝、感謝。
Fin