今日(11/25)は、安達太良山へ。
朝の散歩コースからは、吾妻安達太良が遠望でき、
一昨日にかけての降雪で、うっすらと雪が。
早速、今冬、初の雪を踏みしめようと、近場の奥岳口へ。
ところが、浮かれ過ぎたのか、サングラスを失念。
以前、雪目を患ったことがあり、私にとって、必須の装備なのに。
仕方ない、できるだけ、うす目をあけて歩くことで、誤魔化す?ことに。
すると、稜線には、引きも切らず、雲の襲来。
お山は、雲をわかせて紫外線を弱め、わたしの目を護ってくれた様です(?)。
おかげさまで。…
旧道を、えっちらおっちら。
サングラスをつけていないので、稜線のガスに、ちょっと、安心?

眩しい雪道の先に、鉄山。

角度がかわり、今度は、箕輪山。

勢至平から峰の辻へ。
新雪を踏みしめルンルンなのですが、
こんなに丁重にお辞儀をして迎えてくれなくてもいいのに。

稜線はにぎやかそうです。

鉄山の方が良さそう、箕輪山にも寄りたいところですが…
今日は、長居はしません。

矢筈森。

雲のおかげでちょっと紫外線がやわらぎます。(篭山と福島の市街)

峰の辻着。山頂は見えず。

折角です、矢筈森経由で。

このまま晴れてくれない方が、目には、有難い?

主稜線、分岐に起って、沼の平。
大地の懊悩の痕跡を前にすれば、己れなど無きに均しい …
自分が何者かであると、そう思う心が、自尊心だとすると、哀しい。
哲学者アランは、『自尊心』を定義して、
「自分を愛することがなく、自分に対して苛々する、これが自尊心である。
それはすすんで非難に立向う。それは言う、
"人がわたしのことを何と考えているかは、わたしがよく知っている"と。
どんなに賞讃されても彼が満足することは決してない。それは不幸な愛である」
と、綴りました。
報道にかまびすしい、カルロス・ゴーンさん。
貴方の「自尊心」の大きさ?は、その誤魔化した金額で、よ~くわかります。

ん~、しっかり冬です。

あっちこっち遊ばず、安達太良の山頂へ。

立派なエビノシッポ。

ペルソナすら感じさせます。

雲陰の稜線をたどたど。


山頂は、もう直ぐ。


陽精の頌が、やさしい。

疎らとは言え、それなりに登山者の数。

安達太良を頂きました。

和尚山にも、雲気、雲興。

雲が、やさしく頭上を蔽います。

だんだん、雲が切れだし、そこそこの眺望が。



陽精の促しに応え、山頂においとま。


あとは、すたこら。



薬師岳の展望台に起てば~
もういいだろうと、雲はすっかり払われ、陽精が高らか。


宙からは、"Grace be with you"。

ゲレンデに降り、正面に阿武隈のねぎらい、エ~ルを戴いて…

無事の下山、
新雪の迸り、恩隠の山路に、
感謝、感謝。
Fin