今日(9/7)は、吾妻山へ。
この山の埋もれた歴史を辿るひと時。
吾妻山神社への参拝を守り続ける篤信の方々に同行し、
ささやかながら、登山道の刈払いに協力させて戴きました。
折からの雨に何名かの方が参加を断念。
それでもと、kawasimaさん、saitouさん、吉田さん。
林道脇に車を置き、吾妻山神社登山口で。
吾妻山は名の通ったお山、観光道路もあり、西に東に入山者は多い。
けれど中津川と大倉川に挟まれ、中心に中吾妻山を擁するこの山域へは、
登山口へと至る林道が進入禁止の所為もあり、入る者少なく、
また容易に入れません。
吾妻山は仏の山として、かつて修験者(山伏)の修行の場でありました。
今、有志による刈払いによって、その歴史が繋がります。
雨中、出発。
片道8km前後の行程、かなりの区間、先んじて道刈が施されている様です。
唐松川を渉り、分け入ります。
カラマツの植林帯を黙々、いつのまにか雨も上がりました。
八十歳の矍鑠に畏れつつ。
西大巓からの挨拶が届きます。
先日施された道刈で、わずかに手が届かなかったチシマザサに手を入れました。
その先へ。
吾妻らしい、シラビソの香漂う森の鬱蒼を辿ります。
saitou翁はタフ、溌剌たる足取り。
お日様からのエ~ル、あとひと踏ん張り。
途中、藪の処理に手間を入れ、5時間20分程の行を経て、目的地に到着しました。
『吾妻山神社』~修験者たちのざわめき、・・・。
『奉納 吾妻山』と銘打たれた石碑には、
「大正十五年五月十日」の文字が読み取れ、「信夫郡」の文字も。
信夫と言えば、現在の福島市。浄土平から姥ヶ原、谷地平、
そして中吾妻の鞍部を経て此処へ、~
旧暦を考慮してもまだ残雪に覆われた時季、往時に思いをはせます。
記念にお三方をショット。
わずかに硫黄臭が漂います。
岩の直ぐ下からは乳白色の温泉水が。
吾妻山神社が辺しているのは権現沢の支流です。その先へちょっと足を運ぶと、権現沢。かつて様々にあった回峰行のうち、中津川渓谷を遡りこの権現沢/吾妻山神社へ至るコ~スは”地獄駆け”と呼ばれたそうな。
宗教を”神と人との境界を踏み越えようとする最後の可能性”と言い放ったのはバルトだったか。王朝と結び、僧たちの修行自体を、国家鎮護を命題とした教育システムへと変えていった山岳宗教について、私に論ずる準備はありません。ただ修験者たちは宗教云々以前の山の、自然のエネルギーを験(しるし)として修めることで祈願の飛躍、或は”救い”と呼びうべき何かを与えられ、人びとにもたらしたのでしょう。
その時も、そして今も、権現沢の”水”は低きへとさやかに流れています。
いやぁ、お腹が空きました。
権現沢の畔で、のんびり昼餉です。
さぁ、帰りましょう。慈光がねぎらいます。
めずらしいヒカリゴケ。精一杯のおもてなしです。
陽は西に傾き、柔らかにエ~ルを発します。
無事の下山、
時空を超えた祈願に
感謝、感謝。
Fin