今日(5/26)は、阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』、
上天気、はいいのですが、既にかなりの気温。大汗をかきそうです。
いつもの様に、堂山王子神社境内を見回ってから…
高柴山門沢登山口へ。
ハイカーの弾む声に、笑みに、登山道が明るみます。
いよいよ、山頂部。
ヤマツツジの鄭重なる迎候に与ります。
「水石」着。
あぶくまのご機嫌も麗しいようで…
「水石」の松の木陰では、
suzukiさんを始め、門沢の地区のみなさんのたのしい宴。
この山の整備にお骨折り頂いている方々ばかり。深謝。
上天気に、上機嫌です。
辞して、避難小屋へ。
高らかに、そして誇らしげに、衷心…
その紅い絨毯が披けます。
こちらでは、牧野地区のみなさんによる餅つき。
グル~っと周って、展望台へ。
お一人おひとりの顔には清爽、そして快哉が躍っています。
安全祈願祭の、受付へ。
少し間があるので、一帯を見回ります。
異状のあるなく、安堵。
展望台へ戻り…
上がって、眺覧、周覧。
人熱れに、いたたまれません?
そろそろ祈願祭が始まりそうです。
急ぎましょう。
安全祈願祭終了。
グル~っと周って、往路を復します。
ハイカーのみなさんの憩い、そして団欒が其処彼処に。
愛でられるために、あなたは生れたんだ。
そして、愛でるために。
「水石」にもどり、昼餉。
過ぐる一週で、すっかり緑が濃くなりました。
気さくな方と、しばし歓談、四方山話。
ああ、山には、恣意がない。無理押しもない。
固執がない、自己のみへの執着がない…
花は天使のよう。
ただ、咲く、というひとすじの気持ちへの忠実、
そして見る者への思いやり。
アランの言葉に聴こう。ー
「天使。これは使者、
幸福な使者、待たれた使者、歓迎される使者である。
天使は老人ではない。天使は学者ではない。
天使はただ新しい時を告げにやってくる。
天使は裁かない。
また赦しもしない。かれは喜んで与える。
かれがもたらすものは証拠ではない、
それは一つの音信(おとずれ)だ。
あなたの髪の毛をなおしてくれるときのように、
かれは単純に言う、
《こんなことではいけない。
あなたは呪われてもいないし、悲しんでもいない。
あなたは無用な者でもなく、勇気も欠いてはいない。
わたしがそれを言うのは、
わたしがそれを知っているからだ。
ところがあなたにはそれが判っていない》。
天使は議論しない」。(『定義集』)
そのメッセージを果して、枯れる。
天使に会えた日は、うれしい。何か鼓舞された気がする。
無事の下山、
明麗の山路に
感謝
Fin