あるく

~山の恵みの備忘録~

一切経山/舒愉 2024年8月25日

どこか愁いを帯びた、吾妻の瞳。

 

今日は、吾妻、一切経山へ。

この頃の猛暑には辟易、湿気もからんで、もうダウン寸前です。(笑)

どこか涼める処はないかと物色?

何処も雨にあいそうですが、吾妻辺り、午前の早い内なら大丈夫そうです。

先の週に引き続き、早起きして・・・。

 

 

朝5時。身支度を整え、いざ。

ここ浄土平は標高1,600m、もう少し涼しくてもいいのですが・・・

(一昨年の8/29など木道に霜が降りてました!)

 

少し上ると、吾妻小富士と高山。

 

酸ヶ平分岐を右に折れ、一切経へ。

 

東吾妻や中吾妻のエ~ルに応えます。

 

山頂をロックオン。

 

振り返れば・・・

 

峰々のあたたかな眼差し。

 

見守られて・・・

 

揚々と・・・

 

一切経山を頂きました。~めずらしく、風がない。

 

先ずは、吾妻の瞳にご挨拶。

 

この瞳の角膜、水面には・・・

 

世界が、真直ぐに・・・

 

映し出されている。

 

 

吾妻の瞳は、真直ぐだなぁ・・・

哲学者アラン(Alain)の『定義』によれば、

「真直ぐなこと~これは、思想よりもむしろ行動に関する。

それは、偽りと廻り道とを排除する進み方である。

この言葉は行為に関して言われるが、

行為の一部になっているかぎり言葉に対しても使われる」

とか。

気候変動に関して、果して、人は、「真直ぐ」だと言えるだろうか。

SDGsを免罪符だと思っている人が多すぎる。

 

また他に、―

「エゴイズム~これは身体の限界に密着した思想で、苦痛や病気を予見し、

それらを避け、快楽を選び、それを計量しようとしている思想である。

もしエゴイズムが心から、恥かしい情愛や卑怯や過誤や不徳を遠ざけようとして、

それを監視するならば、エゴイズムは一種の徳になるであろう。

しかし、この言葉の意味を拡張することは慣習によって禁ぜられている」

との『定義』も。

気候変動や暴力に対して「真直ぐ」になれぬこの悪の慣習を、

この期に及んで、ただ忌まわしいと言って済ませられるだろうか。

 

とぎすまされた感覚によって、何が大切なことなのかを識別し、

倒れたら起き上り、道を間違えたらもどり、悪を悔い、偽りに固まらぬ、

そんな人、そんな勇気は、天上よりしか望めない・・・。

 

 

吾妻の瞳は、真直ぐに、愁えている。

 

吾妻の衆は心を一つにして・・・

 

"agree"。

 

 

 

天を仰げば、まなざし。~"Grace be with you".

 

ちょっと降って、大岩へ・・・

 

居合わせた方にお願いし、吾妻の瞳とツーショット?

 

おにぎりをむしゃむしゃ・・・思想の交換。

 

 

 

少しその元気をわけてくださいな。(笑)

 

いい時間を過ごせました。感謝。

帰るとしましょう。

 

 

後は、すたこら。

 

 

 

 

 

磐梯山から、特大のエ~ルを頂戴。

 

思ったより良い天気。

~予定通り鎌沼を周ります。

 

酸ヶ平は草紅葉の始まり。

 

天空の祝福に与って、木道を漫歩。

 

溌剌のリンドウと語らいながら・・・

 

鎌沼へ。

 

その、寂かな時間に合わせられます。

 

 

 

早く歩くのはもったいない?

 

 

 

畔に恰好の休み場。~どっかと居座り?おにぎりタイム。

のんびり、まったり、鎌沼にとけこんでしまいそう。

 

すると、カモ君が二羽。

~一人じゃ寂しかろうと遊びに来てくれました。

 

 

 

 

 

愉しい時間を、ありがとう。

 

 

去り難い気もしますが、そろそろ、おいとましましょう。

 

水君のねぎらいエ~ルに与って・・・

 

無事の下山、

舒愉の山路に

感謝、感謝。

 

fin