どこか愁いを帯びた、吾妻の瞳。
今日は、吾妻、一切経山へ。
この頃の猛暑には辟易、湿気もからんで、もうダウン寸前です。(笑)
どこか涼める処はないかと物色?
何処も雨にあいそうですが、吾妻辺り、午前の早い内なら大丈夫そうです。
先の週に引き続き、早起きして・・・。
朝5時。身支度を整え、いざ。
ここ浄土平は標高1,600m、もう少し涼しくてもいいのですが・・・
(一昨年の8/29など木道に霜が降りてました!)
少し上ると、吾妻小富士と高山。
酸ヶ平分岐を右に折れ、一切経へ。
東吾妻や中吾妻のエ~ルに応えます。
山頂をロックオン。
振り返れば・・・
峰々のあたたかな眼差し。
見守られて・・・
揚々と・・・
一切経山を頂きました。~めずらしく、風がない。
先ずは、吾妻の瞳にご挨拶。
この瞳の角膜、水面には・・・
世界が、真直ぐに・・・
映し出されている。
吾妻の瞳は、真直ぐだなぁ・・・
哲学者アラン(Alain)の『定義』によれば、
「真直ぐなこと~これは、思想よりもむしろ行動に関する。
それは、偽りと廻り道とを排除する進み方である。
この言葉は行為に関して言われるが、
行為の一部になっているかぎり言葉に対しても使われる」
とか。
気候変動に関して、果して、人は、「真直ぐ」だと言えるだろうか。
SDGsを免罪符だと思っている人が多すぎる。
また他に、―
「エゴイズム~これは身体の限界に密着した思想で、苦痛や病気を予見し、
それらを避け、快楽を選び、それを計量しようとしている思想である。
もしエゴイズムが心から、恥かしい情愛や卑怯や過誤や不徳を遠ざけようとして、
それを監視するならば、エゴイズムは一種の徳になるであろう。
しかし、この言葉の意味を拡張することは慣習によって禁ぜられている」
との『定義』も。
気候変動や暴力に対して「真直ぐ」になれぬこの悪の慣習を、
この期に及んで、ただ忌まわしいと言って済ませられるだろうか。
とぎすまされた感覚によって、何が大切なことなのかを識別し、
倒れたら起き上り、道を間違えたらもどり、悪を悔い、偽りに固まらぬ、
そんな人、そんな勇気は、天上よりしか望めない・・・。
吾妻の瞳は、真直ぐに、愁えている。
吾妻の衆は心を一つにして・・・
"agree"。
天を仰げば、まなざし。~"Grace be with you".
ちょっと降って、大岩へ・・・
居合わせた方にお願いし、吾妻の瞳とツーショット?
おにぎりをむしゃむしゃ・・・思想の交換。
少しその元気をわけてくださいな。(笑)
いい時間を過ごせました。感謝。
帰るとしましょう。
後は、すたこら。
磐梯山から、特大のエ~ルを頂戴。
思ったより良い天気。
~予定通り鎌沼を周ります。
酸ヶ平は草紅葉の始まり。
天空の祝福に与って、木道を漫歩。
溌剌のリンドウと語らいながら・・・
鎌沼へ。
その、寂かな時間に合わせられます。
早く歩くのはもったいない?
畔に恰好の休み場。~どっかと居座り?おにぎりタイム。
のんびり、まったり、鎌沼にとけこんでしまいそう。
すると、カモ君が二羽。
~一人じゃ寂しかろうと遊びに来てくれました。
愉しい時間を、ありがとう。
去り難い気もしますが、そろそろ、おいとましましょう。
水君のねぎらいエ~ルに与って・・・
無事の下山、
舒愉の山路に
感謝、感謝。
fin