あるく

~山の恵みの備忘録~

二ツ箭山/温恭 2016年3月5日


  今日(3/5)は、二ツ箭山へ。

  晴れの予報に少し浮き立ちましたが、
  あいにくの曇天、
  陽精、また洋の真率にはあわせられずでした。
  けれど、健やかなる水の精の迎候、またお山には温仁と、 
  ほのぼの運歩を愉しむことが許されました。
  感謝。
  


  水の精に礼すれば、謙廉に合せられます。
イメージ 1



イメージ 19



  山脊を辿り、岩場に直下。
  呼ばわる響に耳澄ませます。
イメージ 2


イメージ 3



イメージ 4


  正気あふれる男岩。
イメージ 5


  月山からの、ねぎらいとエ~ル。
イメージ 6


  今日のテラスは閑散。
イメージ 17


  Oさん、T田さんを見送り、鍋焼きタイム。

   
イメージ 7



イメージ 8



  もうすぐ、『3.11』。
  グレーに染まって、鎮魂。空と語らいます。

  この日、天は、『不条理』によって、
  原子の火をもてあそんだ人の高ぶりを、貪欲をうち、
  その工作を毀ちました。


  "人間が全体として真実から逃げる一方だとすれば、
  他方では、
  真実が四方八方から人間に迫ってきているといえる。
  真実の一面に触れるには、
  昔は一生努力しなければならなかったが、
  今日では逃げないだけでよい。だが、
  逃げないということは、
  なんとむずかしいことだろうか。"


  "天を仰ぎ、天の声に聴け"と、"夫婦岩"が呼ばわります。

イメージ 18


イメージ 9


 
  ああ、原子力

  "いかに経済がそれで繁栄するからといって、
  『安全性』を確保する方法もわからず、
  何千年、何万年の間、
  ありとあらゆる生物に測り知れぬ危険をもたらすような、
  そんな毒性の強い物質を、
  大量にためこんでよいというものではない。
  そんなことをするのは、生命というものに対する冒涜であり、
  その罪は、かつて人間のおかしたどんな罪よりも数段重い。
  文明がそのような罪の上に成り立つと考えるのは、
  倫理的にも、精神的にも、また形而上学的にも、
  化物(ばけもの)じみている。
  それは、経済生活を営むにあたって、人間をまったく
  度外視するものである。"
  (Schumacher)
  警世の言葉が、
  何十年も前から、幾度も幾度も、発せられている、――。

 
イメージ 10


イメージ 11


  "知恵とは真理の知識を現実に即した決定に変えることだ"と、
  先人は言いました。
  今の切実は、
  経済学という宗教に毒された文明を更えてゆく知恵、
  それを学び、育てることだと思われてなりません。


  "然うだ"と、水霊が肯います。
イメージ 12


イメージ 13


イメージ 14


イメージ 15




イメージ 16


  無事の下山、
  山路の温恭に
  感謝。


  Fin