今日(3/5)は、二ツ箭山へ。
晴れの予報に少し浮き立ちましたが、
あいにくの曇天、
陽精、また洋の真率にはあわせられずでした。
けれど、健やかなる水の精の迎候、またお山には温仁と、
ほのぼの運歩を愉しむことが許されました。
感謝。
水の精に礼すれば、謙廉に合せられます。
山脊を辿り、岩場に直下。
呼ばわる響に耳澄ませます。
正気あふれる男岩。
月山からの、ねぎらいとエ~ル。
今日のテラスは閑散。
Oさん、T田さんを見送り、鍋焼きタイム。
もうすぐ、『3.11』。
グレーに染まって、鎮魂。空と語らいます。
この日、天は、『不条理』によって、
原子の火をもてあそんだ人の高ぶりを、貪欲をうち、
その工作を毀ちました。
"人間が全体として真実から逃げる一方だとすれば、
他方では、
真実が四方八方から人間に迫ってきているといえる。
真実の一面に触れるには、
昔は一生努力しなければならなかったが、
今日では逃げないだけでよい。だが、
逃げないということは、
なんとむずかしいことだろうか。"
"天を仰ぎ、天の声に聴け"と、"夫婦岩"が呼ばわります。
ああ、原子力…
"いかに経済がそれで繁栄するからといって、
『安全性』を確保する方法もわからず、
何千年、何万年の間、
ありとあらゆる生物に測り知れぬ危険をもたらすような、
そんな毒性の強い物質を、
大量にためこんでよいというものではない。
そんなことをするのは、生命というものに対する冒涜であり、
その罪は、かつて人間のおかしたどんな罪よりも数段重い。
文明がそのような罪の上に成り立つと考えるのは、
倫理的にも、精神的にも、また形而上学的にも、
化物(ばけもの)じみている。
それは、経済生活を営むにあたって、人間をまったく
度外視するものである。"
(Schumacher)
警世の言葉が、
何十年も前から、幾度も幾度も、発せられている、――。
"知恵とは真理の知識を現実に即した決定に変えることだ"と、
先人は言いました。
今の切実は、
経済学という宗教に毒された文明を更えてゆく知恵、
それを学び、育てることだと思われてなりません。
"然うだ"と、水霊が肯います。
無事の下山、
山路の温恭に
感謝。
Fin