あるく

~山の恵みの備忘録~

高柴山/雪魄 2016年1月31日

  雪に被われた、ヤマツツジ
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  今日(1/31)は、
  阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』
  及び
  堂山王子緑地環境保全地域
  を見廻ります。

  29~30日にかけての降雪で、
  麓では20㎝を超えて積もりましが、
  山はどのぐらいだろうとワクワク。
  期待通り、前のも累ねて30㎝~60㎝超の雪が迎候、
  雪に遊んで雪魄に与かるを得ました。
  感謝。
  

  

  登山口手前、ハーベストビレッジ分岐が除雪終了点。
  ここから歩きます。結構な積雪ですが、ツボ足で…。 
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  もう直ぐ、門沢登山口。
  風に竹林から雪煙が舞います。
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  ひっそりと、登山口。
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  小動物の道しるべ。
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  雪が膝位に。
  心肺は昂まり、足が欣びます。  
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  水蒸気が空中に寒を透して昇華、結晶し地に降りました。
  どんな祈りが析出されたのでしょう…。
  歩運はヒザ超えでハァハァ。
  "武器"(カンジキ)を有たず雪にもがくのは、愉しい。
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  すっかり雪に好かれてしまった、ヤマツツジ
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  じっと我慢、
  ひとすじの気持が磨かれます。
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  いつもの三倍の時間を費やして、山頂展望台着。
  陽精のねぎらいに与ります。
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  雪を払いながら階上へ…。
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  展望台に一息、阿武隈を眺覧。
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  山々の頌歌に耳澄ませます。
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  見廻ります…。

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  山上の平安、ひと時の平和。
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  陽精が讃います。
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  ある哲学者の言葉に、――

  "ここで平和と言っているのは
  単なる無感覚の消極的な概念ではなく、
  魂の「生命と動き」の積極的な感情である。
  それはある深い形而上学的な洞察によって
  感情がひろくされることを意味する。
  この洞察がどんなものであるかを言葉で言い表わすことは
  できないが、
  それはもろもろの価値に対して重要な統合作用をもつ。
  平和の体験によってひとは自己にかかずらうことをやめ、
  所有欲に悩まされることがなくなる。
  価値の転倒が起こり、もろもろの限界を超えた
  無限のものが把握される。
  注意の野がひろくなり、興味の範囲が拡大される。
  その結果の一つとして、人類そのものへの愛が生まれる。
  人類は高度に発達した精神を持っているため、
  ただ生存を享受してたのしんでいることはできなくなり、
  そのたのしみには必ず苦痛や悲劇がからみあっている。
  平和(の体験)はこの悲劇に対して
  つねにいきいきとした感受性を保ちつづけさせ、
  現実のレベルを超えた理想を志向せしめる"、
  とか。

  みんなの心に、
  この雪のような平和が降りますように。
    


  阿武隈の山々が肯います。
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  一帯に異状のあるなく、安堵。
  帰りましょう。

  山々と言葉を交わしながら…。
  (片曽根山)
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  (移ヶ岳)
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  (鎌倉岳)
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  安達太良、吾妻は今日もはっきりしません。
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  愉悦の雪上運歩。  
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  愛車に戻って、一安心。
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  無事の下山、
  雪魄の恵慈に
  感謝。




   Fin