今日(2/16)は、二ツ箭山へ。
先の週は、ひろく降雪に見舞われてしまい、お山は見送ることに。
毎朝の散歩を心がけているとは言え、山歩きに、間があいてしまうと、
足はふてり、なまるものです。
二週間ぶりの山歩に、足は大喜びでした。
御滝沢から。
水に礼すれば、その謙廉に合わせられます。
この氷文字は、ポエトリー。解読できないかな?(笑)
〆張り場から、山脊へ。息を荒げて。
岩場に直下。
呼ばわる響に、耳澄ませます。
"天を仰げ、天から生きよ"と。
基部へと上がり、月山にご挨拶。
あと、ひと息。
鎖を離せば、月山のエ~ル。
そして、男岩からも。
女岩を頂きました。高らかな陽精の頌歌に…
洋は真率をもって、応えています。
さてさて、
との報道が、日本中をかけめぐりました。
この天分、この才能、メダルへのひたむきな情熱、希望、その一途。
幼き頃からの水の申し子、すくすくと成長…
心中如何ばかりかと、近頃めっきり涙腺が緩んだ私の眼は、潤みました。
医学は長足の進歩、全癒全快を祈るばかりです。
でも、人生の意義目的はオリンピック以上。
その手を執りしめ、「命なるかな」と慨歎、
「斯の人にして而も斯の疾まい有るや」と、二度、言葉を重ねました。
運命の不可解さ、天の胸ぐらをつかまんとした問いであったにちがいありません。
若き日は、美しい夢をもちます。真面目であればあるほど。
天はその夢を粉砕することによってその人の身魂を練るのだ、
との孟子の言葉があるように、現実は厳しく、多くの場合、真摯であっても、
いや、真摯であればあるほど、めざすところとは逆に、
失意、失敗、挫折のオンパレードでありましょう。
「それらの浮沈に拘りなしに、生くるに値する人生は必ず与えられる、
真実もて求むる限り必ず与えられる。願いしにまさりて豊に与えられる。
…たとえもし一生を苦しみ通し、悩み通すことありとも、
それは深く祝福せられたる、充ち足らえる一生であるだろう。
何故ならば真実なる一生にもまして神の祝福に値するものは他にないから」
とは、三谷隆正の遺著、『幸福論』の結語。
目に見えるメダルよりも、目に見えないメダルこそ。
洋のしらべに、そんな響をききました。
さて、岩場のテラスへ。
常連さんたちの和気あいあいが、ありました。
交ぜて頂き、歓談、四方山話。
igaさんの譲坐にあずかりました。感謝。(私の圧がつよいのかな?)
毎度の、鍋焼きうどん。
みなさんを見送り、青空のもと、まったり、のほほん。
うらら、うららと。
いい時間を、過ごせました。感謝。
帰りは沢コース。
修験台から"夫婦岩"。睦まじく唱を合せます。
谷へと降り起ち…
水の精にご挨拶。通行の許可を請います。
水の時間に歩を合わせ、…
水の精と語らいながら。
水の精の、翔逸、翔華、翔踊に与かれば…
山路は了わり。
駐車場に戻れば、うれしい梅の花の迎候。
無事の下山、
山路の和悌に、
感謝。
Fin