陽精の初頌、"a happy new year"。
2019年、元旦。
新春を言祝ぎ、みな様のご清健を、衷心より、お祈り申し上げます。
さて、本日は、二ツ箭山へ。
初風はおだやか、小春日和の下、テラスでのほほんと、座談、歓談。
よきひと時に恵まれました。
御滝には、淑気。
今日は、駐車場でhondaさんとバッタリ。
'17年の7/5以来、1年半振りでしょうか? 愉しくお喋りしながら。
水に礼すれば、謙廉に合せられます。
寒衣をまとって。
〆張り場着。左に折れ、山脊へと。
そろりそろりと。
岩場に直下。呼ばわる響に、応えます。
"天へ、天から"と。
さて、岩を、攀じるとしますか。
男岩、女岩を分つ基部へと上がれば、月山からのエ~ル。
ここから、女岩へ。
鎖に礼し、放せば、男岩のねぎらい、エ~ル。
女岩を頂けば、ひろがるいわき。
そして、洋は燦然、天上には、耀霊の頌歌が。
しばし、黙想。
時と永遠に思いをはせます。
そこには、
『未来は我々がいま何をなすかにかかっている』と、ガンジーが援用され、
未来へつなぐ責任が綴られておりました。曰わく、
「18世紀のフランス革命前、
ルイ15世の愛人として権力をふるい、浪費の限りを尽くしたポンパドール夫人は
"わがなきあとに洪水はきたれ"と言ったとされる。
"いまさえよければ"が破滅を招いたのである。……
私たちには、世代を超えた重い責任がある。
"あとは野となれ山となれ"というわけにはいかないのだ」と。
『徳は孤ならず、必ず隣り有り』とは、孔子の言葉。
道徳は孤独であることはない、きっと同類を周辺にもつ、
との希望の言葉であるには、違いありません。
どうか、この「責任」の観念が、倫理が、
世界中に跳梁跋扈する「利」の観念を、その高ぶりを凌駕しますようにと、
こいねがわずにはおれません。
陽精は耀霊となって、その祈願を共にしてくれました。
そして洋は、真率を以て。
さて、岩場のテラスには…。新春早々、お一方。
どっかと座して、まどろみます。よきかな、よきかな。
陽精の祝福にあずかります…
語らいの、ひと時。and, coffee。
今日は、『すみれ』。美味でした。
新春の淑気に擁まれ、いい時間を過ごせました。
感謝。
帰りは、沢コースへ。
修験台から、睦まじい"夫婦岩"。
谷は、寒の礼装で迎えてくれました。
水の精に礼すれば、その時間に合わせられます。
冬は寒の盛装。
水の精と語らいながら、歩一歩。
のっしのっしと。
空がひらければ、山路は終点間近。
駐車場に戻って、お山に一礼。
無事の下山、
新春の歩初、その祝福に
感謝、感謝。
Fin