あるく

~山の恵みの備忘録~

言葉の糧~内村鑑三

内村鑑三(1861-1930)~キリスト教独立伝道者。評論家。札幌農学校出身。教会的キリスト教に対して無教会主義を唱えた。教育勅語天皇の署名への礼拝を拒む不敬事件を起こし、また非戦論を唱道。雑誌『聖書の研究』を創刊。

著書は、『内村鑑三全集(全40巻)』(岩波書店

 

 

内村鑑三:『人生のABC

 

A 人の運命について

○人に運命があるというが、自分もあると信ずる。幸運がある、不運がある。しかしながら一生涯を通して全く幸運の人、全く不幸の人は無いと思う。生涯を前中後の三段に分つとすれば、その内いずれかにおいて幸運は廻り来ると思う。前に幸いにして、中にやや曇り、後に不幸に終る人がある。その反対に前に不幸にして、中にやや改善し、後に幸福に終る人がある。また幸か不幸を前後の間に挿む人がある。自分の如きは第二に属する者であると思う。自分の暗黒時代は長かった。少年壮年より中年を通して初老に到るまで不幸艱難は連続した。

 自分は時々思うた、自分には幸福は一生臨まない、不幸連続をもって終るのであると。自分の友人達もまたそう思うて、自分に対して深き同情を表してくれた。しかるにこの世の運命に失望して、ただ希望を来世に嘱した頃より不幸の雲は段々と薄らいで、ついにはこの世においても恩恵の露に霑(うるお)うに至った(今後の事は知らざれども)。自分ながら不思議に思う。そして自分の生涯に比べて、自分と反対の運命にある多くの人を見受くる。すなわち生涯の前半部以上を通して幸運が連続して終りに近づいて不幸の雲に掩(おお)われし人を見る。

幸不幸はその人の運命であるとするも、不幸はこれを前半部に受けて、幸福はこれを後半部に与るの遥かに幸いなるを認めざるを得ない。しかしながら運命である以上、自分でこれを定めることは出来ない。ただ不幸なればとて失望することなく、幸福なればとて高ぶらざるが肝要である。更にまた不幸決して不幸にあらず、幸福決して幸福にあらざるを知るべきである。身が暗きにいる時に霊は光に歩み、身が光に浴する時に、霊は光を認め難くある。昼は太陽の光に歩み、夜は煌めく星を仰ぐ。昼も必要なれば夜も必要である。光を感謝しまた暗を感謝すべきである。ゆえに信者は運が好いとて別に喜びもせず、悪いとて別に悲しみもしない、ただ真の神を知るを得しとて感謝する。

運は天候の如きものであって、霊魂の外の状態である。よかろうが悪かろうが神による霊魂には至って関係の少ないものである。また人は自己の努力によりて大分に運命を支配することが出来る。人に運命の有るは確かであるが、運命の奴隷たるは人の道でない。運命を利用して己が向上完全を計るべきである。「困苦(くるしみ)に会いたりしはわれに善き事なり、これによりてわれ汝(エホバ)の律法(おきて)を学び得たり」とあるが如し(詩篇119篇七一節)。

 

B 天才と忍耐

○人は誰でも天才を欲求する。天才は親から受くる財産のごときものであって、自ら働かずして獲らるるものであるがゆえに、人のこれを欲求するは無理はない。しかしながら親の遺産を承(う)け継ぐ者の稀なるように、天才を授かる者もまた少なくある。天才は求めて得べからず、授けられし者の幸福、授けられざる者の不幸と見るほかに途はないのである。

○しかしながら人には何人にも意志がある。彼は意志をもって優に天才の欠乏を補うことが出来る。忍耐と勤勉とである。これありて天才の為す以上の事を為すことが出来る。天才の特徴はよき事を早く為すことである。学ぶ事少なくして、時には学ばずして、短時間に仕事を仕上ぐることである。しかれどもこれ必ずしも事を為すの途ではない。忍耐と勤勉とをもって事に当れば、よし努力と時間とは多しといえども、天才に劣らざる、時には天才以上の事を遂ぐることが出来る。詩人ゲーテが言いしごとくに「休まずに急がずに」、コツコツとして事に当れば、凡人も優に天才を凌ぐことが出来る。かく見て天才は少しも羨むに足りない。われら多数の凡人は忍耐と勤勉とをもって少数の天才と競争してこれに打ち勝つであろう。

○しかのみならず忍耐の長所に天才のそれに優るものがある。天才は容易(たやす)く事を為すがゆえにこれに品性養成の効果が伴わない。忍耐はしからず。忍耐はこれを維持するに常に意志の行動(はたらき)を要するがゆえに、人格はこれによりて上進し、信仰はこれが為に固くせらる。忍耐を継続して人は自己を知ることますます深くなり、神に頼ることますます強くなる。天才の人は概(おおむ)ね高ぶりの人、薄情の人であるに対して、忍耐の人は概ね謙遜の人、同情の人である。また天才は挫け易くして忍耐は抜き難くある。天才の人がその濫用より廃人となりし多くの実例を見るが、忍耐の人が堕落してその生涯を失敗に終りし実例は滅多に見ない。かくていずれの方面より見るも、忍耐の長所は遥かに天才のそれに優る。

○まことに神は公平でおわし給う。彼は天才を少数に賜いて多数を顧み給わないのではない。かえってより善きものを多数凡人に賜いて彼らを祝福し給うのである。凡人たるの幸福また特権は偉大である。神が何人にも賜いし意志の力をもって何人も為し得る事を為すのである。神の造り給いし宇宙において凡人は決して平凡でない。凡人もまた神に肖(に)て造られし者である。そして神を顕す点において凡人は天才以上である。われら何人も持続せる忍耐と勤勉とをもって「偉大なる凡人」たるべく努むべきである。

 

C 常識と意志

○大統領リンコルンがかつて言うたことがある。「神は特に凡人を愛し給う、しからざれば彼はかくも多数に凡人を造り給わないに相違ない」と。これによりてみれば、リンコルンは自身が凡人の一人であると思い、凡人の大統領をもって自ら任じたのである。そしてリンコルンは実に偉大なる凡人であったのである。民主政治(デモクラシー)他なし、凡人政治である。凡人に価値を認むる所に民主政治の長所がある。天才は才能界の貴族である。凡人の才能、すなわち実験より得たる常識をもって万事を処理せんとするところにデモクラシーの精神がある。世に健全確実なるものにして、凡人が実験より得たる常識のごときはないのである。

○これを名づけて常識と言う。常識はCommon Sense の訳字である。普通意識または凡人意識の意である。何人も発達しまた獲得することの出来る意識である。常識を得るに貴族たりまた天才者たるの必要は少しもない。何人も真面目に人生日常の責任に当れば自(おのず)から得らるる意識である。そしてリンコルンは常識の模範的体現者であった。樵夫(きこり)の子であって、勤勉と正直とのほかに何の才能をも有せざりし彼が、ついに人類最大の指導者と成ったのである。

○意志と言えばその弱者を語るのが普通である。意志鞏固(きょうこ)の人があり、意志薄弱の人がある。ゆえに鞏固なる意志もまた天才の一種であるかのように思う人が多い。しかしながら天才と意志とは全く違う。もちろん二つながら神の賜物であるに相違ないが、しかし天才は特別の賜物であって意志は普通の賜物である。世に天才の無い人はあるが意志の無い人はない。そしてたとい弱い意志といえどもこれをよく養成して強い意志と成すことが出来る。

 教育の必要はここにある。父兄と教師とは児童の意志を指導しその発達強健を計ることが出来る。しこうしてまた人は他人によらずして自分で自分の意志を強くすることが出来る。その方法の第一は自分の意志を信頼することである。意志も記憶力と同じく信頼すればますます強くなる。自分は駄目なりと思えば駄目に成り、為すことが出来ると信ずれば為す事が出来る。第二は自分の意力不相応の事を企てざることである。成功は意志を奨励し失敗はこれを失望せしむ。意志は小児のごときものである(弱き意志は殊にしかり)。ゆえにこれを奨励して、失望せしめてはならない。小事を成就(なしと)げて大事を為さんとするの勇気が起こる。弱き意志は炭火のごとし。徐(おもむ)ろにこれを吹き起こしてついに熱火と成すことが出来る。

 

D 裕取(ゆとり)の必要

○何事を為すにも裕取が必要である。「急いては事を仕損ずる」と言う。Take plenty of time. 何事にも充分に時を与えよ。善き事を為すには充分の時が要る。早きが能ではない。全きが手柄である。不完全なる事を三つ為すよりも完全なる事を一つ為す方が遥かにましである。不完全なるものは廃れ、完全なるものは残る。急がば回れである。畢竟(つま)るところ、ゆっくりと気長に事を為すの時間の最大経済である。

○人生は短いというが、人一生の事を為すには充分である。急ぐ人はすべて無益の事に時間を浪費する人である。毎日少しずつ孜孜(しし)として働いて、一生の事を為すに充分の時間がある。世に「忙殺せらる」と称する人があるが、彼らは多くの為さずともよい事を為して「忙殺」せらるるのである。神のため、審理のため、人類のために尽くす人は時にも心にも充分の余裕のある人である。 Things half-done are things undone. 半成の事は未成の事である。充分の時間を取り、充分の心を入れて為さざる事は、いまだ為さざる事と同じである。充分の時を与えん為に少し早く始めよ。朝は少し早く起きよ。朝の少しの裕取が全日に渉って、全日の仕事に裕取あらしむ。何事も必要に迫って為してなならぬ。編輯(へんしゅう)当日に成った原稿に碌なもののあった例(ためし)はない。試験の準備は遅くとも一ヶ月前に始めよ。しからば満足なる試験を経過するを得べし。何事も時の切迫するまで抛棄(ほうき)するなかれ。少し早く取り掛かって、準備と実行との間に多少の猶予あらしめよ。しからば成りし仕事はやや完全に近きものであろう。

○世に耻ずかしき事とて、時間に裕取を与えざりしがゆえに、汽車に乗り遅れし場合のごときはない。少し早く家を出ればこの耻を取らずして済んだのである。しこうしてあにただ汽車のみならんや。人生全体がしかりである。死の間際までこれを迎うるの準備を為さずして、急いで準備に取り掛かるも、よし全然無効ならずとも、不完全なるは免れない。「なんじの少(わか)き日に汝の造主をおぼえよ」とあるはこれが為である。死の準備に裕取あらん為である。多く遊んで急に働かんとするがゆえに急ぐのである。常に少しずつ働いて泰然してすべての責任に応ずる事が出来る。人生は長くして短し。己が使命を果すには充分である。しかれども使命以外の事を為さんと欲して生命が百あっても足りない。己が使命を自覚してゆったりとしたる、充実せる生涯を送ることが出来る。

 

E 毎日少しずつ

○少しずつ、しかり少しずつ、毎日少しずつ。少しずつは大なる勢力である。一日に一寸ずつ穿(ほ)れば、一年間には厚さ六間の堅い大理石または花崗石(みかげいし)の岩を穿り通すことが出来る。相方より一日に一尺ずつ掘れば長さ数哩の難工事の隧道(とんねる)も数年を出でずして貫通することが出来る。一日に一頁ずつ書けば十年間には三千六百頁の浩瀚(こうかん)の著述を為すことが出来る。人生短しといえども、もし一つの事を継いで毎日少しずつなすならば、死ぬまでには一大事業を成就することが出来る。驚くべきは毎日少しずつ為す仕事の結果である。

○そして凡人が事業を為さんと欲せばこの途をとるより他に方法がないのである。「惰(おこた)らず 行かば千里の外も見ん 牛の歩のよし遅くとも」と、徳川家康が詠んだ通りである。大天才の豊臣秀吉の為す能わざることを、大凡才の徳川家康は成し遂げたのである。牛進主義である。毎日少しずつ働いて山をも平らげ、海をも干さんとするのである。かくなしてわれらは神に倣うて働くのである。宇宙万物が成りしもこの途によったのである。

○今や大活動と称して、潜勢力を喚起して急に大事を為すことが流行する。それも事を為す一つのよき方法であることを疑わない。しかしそれよりも遥かによく、また最も確実なる途は毎日少しずつ為すことである。急に大事業を思い立って為すにあらずして、毎日降っても照っても、時を得るも得ざるも、こつこつと為すことである。この途を取って凡才も大学者と成ることが出来る。毎日少しずつの事項を暗記して一生涯に大歴史家となることが出来る。毎日天然物一箇に注意して一生涯には大天文学者と成ることが出来る。毎日一章ずつ読んで三年と四ヶ月には聖書全部を通読することが出来る。これを生涯続けて大聖書学者と成ることが出来る。「誡命(いましめ)に誡命を加え、度(のり)に度を加え、ここにも少しく、かしこにも少し教う」と言う(イザヤ書二八章一〇節)。少しずつ教えられ少しずつ学びて、何人も大学者と成ることが出来る。

○少しずつ、しかり少しずつ、毎日少しずつ。大挙伝道と称えて一時に民衆を教化せんとせず。早急に成功を計るはアメリカ流である。徐々に少しずつ築くはアジア風である。静かに毎日少しずつ。愛する日本人よ。