今日(4/30)は、ついでがあり、ちょっと三春の滝桜へ。
すっかり葉桜、とは言え、そこは千年の貫禄。しばし、語らいのひと時に、
恵まれました。

朝鮮半島に春が来たそうな、…うれしいかぎりです。
戦争や、拷問や、組織的なレイプ、誘拐などの非人間的な行為を
国家の名において正当化することなど、許されようはずもなく、また、
もう、地球の環境は、戦争に耐えられない、
そうした愚行を許しはしないでしょう。
環境という、共同の運命の下にある以上、平和は必須の条件。
その切実を自覚する悟性、そして理性が働いたのだと…
そう、信じます。
ただ、――
「慎重な知恵があれば、それだけで十分な平和の保障になるとは
ぼくには思えない。
平和を支えるのは正義を愛する心である。
正義をまっとうするのはむずかしいからだ。
橋やトンネルを作ることよりもむずかしいのだ。
平和が生まれるのはその結果である。その結果としてのみだ」
とは、アランの言葉。
まったくもってその通りと、滝桜が肯います。
今後、邪な策が講じられぬよう、
いっそ、文さん、金さん、トランプさんに、ノーベル平和賞でもあげて、
縛った?ほうが良いと、思いませんか?

千年の時空を超えた桜の思い、その祈りに、
感謝。
Fin