『磐梯山/東尾根/恵心(前篇)』からの続きです。
超脱の、ひと時。
朗天、朗耀に祝福され、飯豊とツーショット。
慈光、慈愛に沐浴(ゆあみ)します。
まばゆい、飯豊の光。そして、親昵のまなざし。
いかでこたえん、この愛に。
目を転ずれば、朝日の連嶺… そして、月山。
こころがたかぶります。
しばしたたずみ、眺覧、周覧。
宙には、陽精の頌歌。―
こんな佳き日に来れて、しあわせ。
そろそろ、帰るとしましょう。
山頂にいとまを告げて。
沼の平、そしてのぼり来った東尾根。
ちょいとそこまで行けそうですが…。(笑)
山頂をご一緒した皆さんも下ります。
すると、沼の平~弘法清水を回り込んで、kobayashiさんが
上って来られました。
本調子ではないと仰ってましたが、何のなんの。
しばし、談じて、それぞれの上り下りへ。
弘法清水が見えて来ました。
小屋前で、ひと息。飲んで食べて…
飯豊と語らいます。
お久しぶりです、天狗岩。
陽精の頌に合わせて…
”天へ、そして天から生きよ”と、呼ばわります。
弘法清水から、ちょいとショートカット。
お山と語らいながら、近しい斜面を降ります。
ラインが優しい、東尾根。
了えて、一礼。
沼の平。
静まって、お山の響に聴きます。
霞が関がかまびすしい。―
『子曰わく、
政を為すに徳を以ってせば、譬えば北辰の、其の所に居て、
衆星の之れに共(むこ)うが如し』
とは、『論語』にある言葉。
「北辰とは、北極星のこと。
北極星は、じっとその場所にいるだけだが、
他の多くの星どもは、それを中心として旋回する。
道徳による政治の、人々に対する関係も、その如くであって、
人々は、あるいは、万事は、それを中心として、円満に進行する」
というのが、大意。
これは古代人の夢想だと、誰が笑えるでしょうか。
この逆もまた真なり、
「曰わく、政を為すに不徳をもってせば…」(!)
この国のおそらくは最高に部類される頭脳を集積した官庁が、みずから、
その「誇り」を打ち毀してしまいました。
別の条には、
「子曰わく、驥(き)は其の力を称せず、其の徳を称する也」とも。
つまり、
「驥とは、駿馬、称とは称賛する。たたえる。つまり、
駿馬は、むろん能力をもっている。しかし称賛されるのは、
その能力よりも、より多く馬としての道徳である。
人間もそれと同じいこと、いうまでもない」と。
わが宰相は、
その巧言を操ればあやつるほど、「徳」を乱していると、
どうして弁えないのでしょうか。
さて、帰りましょう。
雪はしまって、ツボ足ですたこら。
沼の平にいとま。
衛兵岩に一礼し、無事を報告。
赤埴山へ。
還って赤埴の山脊に起てば、湖の祝福。
そして、お山の祈りは、"Grace be with you".
ゲレンデトップには、
スキー教室の子どもたちのはしゃぐ声。
陽精のねぎらいに与ります。
あとは、ゲレンデに靴を滑らせ、ス~イスイ。
未来のオリンピアンたちよ。
お山に礼して…
無事の下山、
お山の恵心に
感謝、感謝、感謝。
Fin