あるく

~山の恵みの備忘録~

高柴山/淑節 2018年1月1日

 枝の梢にはすでに陽春の芽生え。 
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 新年おめでとうございます


 2018年元旦。本日は、
 阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』
 及び、
 堂山王子緑地環境保全地域
 を見廻ります。
 (明日の予定でしたが、所用。早めました。)


 いつもの門沢登山口から。
 それなりの積雪を覚悟して来ましたが、尠め。
 此処まで車で来ることが出来、ホッ。
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 先行者は…多分、キツネ。律儀に登山道を辿ります。
 トレースがかわいい。
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 ん~空は、ご機嫌。
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 やはりというか、標高を少し上げると、積雪が増します。
 それでも20cm程度? 長靴で、no problem.
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 登山道はキツネ、タヌキの足あとで賑やか。
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 それが消えると、こんどは、蹄っぽいのがノサリノサリ?
 イノシシくんです。
 勇ましいトレ~ス?と言葉を交わしながら。…
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 水石に到着しました。
 展がる阿武隈に新年のご挨拶。
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 山頂部を見廻りながら…
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 展望台へ。
 真新しい踏み跡が三人分。御来光を拝みに来られたのでしょう。
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 階上へ。
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 展望台から周覧、眺覧のひと時。
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 (安達太良には雪煙、厳しそうです)
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 阿武隈の暢懐にひたります。
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 新年を言祝ぐ、陽精。
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 さて、
 「自らかえりみて縮(なお)くんば千万人と雖も我往かん」
 とは、孟子の言葉。
 天然においてはいざ知らず、人間の事柄としてみれば、
 この自らかえりみて縮しとはどのような心の境地を謂うのだろう。
 そして、人間はそれほど強いのだろうか。
 主観のか細さで、独力、千万人を向うに回せるものなのか。
 俗輩の千万人が敵対しようとも、自らの確信には
 明識の高士、知己、知音の百人五十人が味方にいる。だからこそ、
 そうした期待が千万人を前に堅く起たせるに違いない。
 しかし、「敵」も人なら、「味方」も人。
 同じ人の所信、信念であるから、その賢愚、優劣を
 どう戦わせたところで、百人は千万人に勝ち得ない。敗ける。
 ―― でも、敗けるが勝ち、ということはあるに違いない。

 相撲界に意固地がいる。
 私の貧しい経験の中でも、同じようなことはあった。
 人はみな、好ましい制度や関係を択んで生れてくるわけではない。
 だから、不如意、また既存の「不義」に、自らを被害者として
 当たり散らすことも、あるいは、出来るだろう。
 世間ではこれこれのことを為した、かく語った、書いた…
 そうした表立った徴が正の価値とされるから、
 敢えて為さない、語らない、は往々にして負の価値とされる。
 「勝ちゃいいんだ」、「儲かりゃいいんだ」とは
 違う価値に生きることを択んだ者は、
 「浮世の義理」というか、それ自体は悪いものではなかろうが、
 自らを支え、生かしてきた言葉とは別な法則に従って
 身を処すことをよしとせぬ「精神」は、
 「不義」に対して「異議申し立て」をすることになる。
 或いは「不為」によって、或いは「不服従」、「沈黙」によって。 
 貴乃花という人間をともかくも支えてきたもの、それが、
 あの大きな「無礼」を生んでいるのなら、
 失うもの多く、当然得られたであろうものも得られぬだろうが、
 自らの相撲道への謙遜や自由を失わぬかぎり、
 手痛い阻止や、苦難を通して、大きな"幸い"に浴するだろうと、
 私は思う。
 貧しき土塊、一無用人の、ささやかな一生から、それは言える。
 独り善がりの信念に終わらせてはいけない。
 
 

 陽精の頌が大空に響きます。
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 ヤマツツジには、生命の渾身。
 心にあふれるものを讃いあげています。
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 一帯を見廻ります。

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 異状のあるなく、安堵。帰りましょう。
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 阿武隈をまじまじ、その暢然をいただきます。
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 さて、後は往路をすたこら。
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 樹々と語らいながら。
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 無事の下山、
 山路、淑節の風情に
 感謝。

 Fin