天狗岩が、憐れんで、姿を見せてくれました。
今日(9/22)は、磐梯山へ。
磐梯山に登りたいという、一知友の思いに応え、
案内させて頂くことに。
気象庁の天気分布予報を見て、「???」。
周囲はみんな晴れ表示なのに、ポツンと、磐梯山エリアだけが曇り。
どうせ外れるだろうと高を括りましたが、何と、大当たり。
生憎の天気、
ただただ、歩運に終始となってしまいました。
初めての心象に、お山は何を印したでしょうか、…。
猪苗代のコンビニに着くまで、お山は際やかでしたが、
買い物をして猪苗代スキー場に着く頃には、雲が統べります。
でも、どんな天気も、山の恵みです。
ハァハァゼェゼェ、ゲレンデトップに到着。
「ハァ~、オレはもうこごでいい~」と、
弱音を吐くsakumaさん。
そんなこと言えてるうちは、まだ大丈夫!
なんとか、てくてく、沼の平。
いつもの場処で、ひと息。
『三合目』に着くも、ガスはますます濃く。
天狗岩の響だけが確り、"天を仰げ、天から生きよ"と。
「靴は?」との問いに、「長靴でいいよ」と私。
でも、岩累累、ゴロゴロの道は、長靴には薄情、心無い?
自然と長靴にやさしく、足に濃やかな歩き方になるのです。
弘法清水小屋で澁谷さんにご挨拶、しばし四方山話。
ラーメン用に、清水を頂戴します。
いざ、山頂へ。
磐梯山を頂きました。
一歩一歩は偉大です。
三角点にタッチし、放心?解放?爽快?のsakumaさん。
初登頂、おめでとうございます。
(ついでに、私も)
束の間、陽精が顔を出して、祝福してくれました。
標識を背に、ちゃんとちゃんとの記念写真。
感懐や如何。
岡部の山頂小屋で風を除け、ラーメンタイムとしましょう。
お腹は満たされました。下山するとしましょう。
紅葉は、まだ走りかな?
降りは、万有引力に身を任せるだけ…
火口の淵に起てば、裏磐梯は晴れ模様。
今日は何も見えずと諦めかけていたら…
天狗岩がお目見え。その憐れみに与りました。
ただ黙々の運歩、その繰り返しが、登山。
みんなで、ああだこうだと、口角に泡をとばしているうちは、
実は、「個別」なのだ。
ほんとうの「普遍」、登山の本質というものは、
それこそ、たった一人で、お山のうちにある、大いなる他者と、
もがいたり、胸ぐらをつかみあったりして初めて、
触れうるものなのではないか、…
普遍、ほんとうに自らが納得するものは、いつだって、
心のいちばん奥にまで届いたもの、その思いだけだ。
その思いだけが、そのよろこびだけが、
しんそこ、顔に出るのだ。
スマホを握りしめ、でっち上げられた「真実」におどる、
あせったような、泣きたいような笑顔じゃなく、
みんながそんな顔になったら、すばらしいだろうな。――
天狗岩は、そんなことを、私に語りかけてくれました。
沼の平へ。
いつもの場処で、ひと息。
常連さんを交え、歓談、四方山話。
赤埴山を巻けば、樹々が陽精と戯れます。
てっぺんは、雲を被ったまま。
寛やかに、湖。秋を讃う、田圃。
ゲレンデへと降ります。
さすがは"二足歩行"60年の大ヴェテラン、
元気よくゲレンデを凱旋です。
悠々とゲレンデを闊歩。
論語に、
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静かなり。
知者は楽しみ、仁者は寿ながし」
とか。
含蓄に富みすぎ、意を定めにくい条ですが、
孔子はまた、別の条で、
「曰わく、仁なる者は、先ず難んで後に獲。仁と謂う可し」
とも。
「人がいやがって後回しにする難しいことを後回しにせず先にやる。
また人が利益になるからと先にやりたがることを後回しにする」
そんな生きざまを、孔子は仁者の資格としたのでした。
山に愛でられる人間は、たぶん、そんな人かな。
センブリの花が、肯います。
花の祈りは、"Grace be with you".
「下山すると晴れる」とは、なりませんでした。
「ごせやげなくてよがった」。(笑)
「お疲れ様」。
無事の下山、
お山の懐隠の情?に
感謝、感謝。
Fin