あるく

~山の恵みの備忘録~

高柴山/恭虔 2017年9月2日

 山頂には、恭虔、マツムシソウが迎えてくれました。
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 今日(9/2)は、
 阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』
 及び、
 堂山王子緑地環境保全地域
 を見廻ります。

 そぼ降る雨の中、傘を片手に、てくてく運歩
 煙雨にかすむ山頂には、
 今年も元気にマツムシソウが咲き溢れていました。
 

 蛍草にご挨拶。
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 いつもの門沢登山口から。
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 登山口からちょっと進むと、日当たりの良い場処に。
 どうしてもヤブが発達します。
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 グショグショになるだろうなぁ、と思って…
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 今日は鎌を持参。20~30Mぐらいの区間です。
 人一人濡れずに通れるぐらいの幅で刈り込みましょう。
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 何とか上手に?刈れました。
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 singin' in the rain.
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 小雨に煙る山頂部。
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 展望台に到着。
 先に一帯を見回ります。
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 気になっていたマツムシソウ
 いつも群生する場処に行ってみると…

 雨中、つつしみぶかく、逞しく咲いておりました。
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 雨を愉しむかの様に。
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 弾道ミサイルだなんだと、かまびすしい。
 『戦争』はドアの直ぐ前まで来ているのでしょうか。

 誰でしたか――
 「お金はそれを崇拝する者のところへ行く。
 裕福になろうと欲してなれなかった人間がいただろうか。
 ~注意せよ、"なろうと欲して"と、ぼくは言っているのだ。
 期待を抱くことは意志をもつことではない。
 詩人は10万フランが手に入るという期待を抱くが、
 だれから、どうやって手に入れるのか知らない。
 彼はその10万フランを得るために、
 ほんのわずかな行動も起こさない。
 だから、手に入らないのだ。
 しかし、彼は美しい詩をつくりたいと思っている。
 だから、それをつくるのだ」
 と、言っていました。

 たしかに、お金が私のところにやって来ないのは、
 私がお金を崇拝していないからです…。(笑)
 自らに即して、この言葉は正しい、真実です。
 平和も同じ、戦争も同じ。
 もし戦争が起こるなら、それは、大多数の人が、
 実は、平和など崇拝してはおらず、戦争を崇拝していたのだ、
 ということの証左なのです。

 「人の一生はその人みずからのつくるところであって、
 決してただの運命ではない」
 とは、ある哲学者の言葉。
 いわんや、国家においてをや。
 戦争なんて、
 どちらが勝っても、人間の敗北ではないですか!
 
 
 憂えるマツムシソウ
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 マツムシソウは、心底から、『平和』を崇拝しています。
 その祈りは、"Grace be with you".
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 一帯に異状のあるなく、安堵。
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 展望台へ。
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 辺りは煙雨にかすみます。
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 つましく、カップ麺。
 そうそう、以前、ある登山者の方に言われましたっけ。
 「山に登るなどという健康的なことに勤しみながら、
 カップ麺などという不健康なものを食するとは…」。
 でも、いいのです。
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 さて、帰るとしましょう。
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 ねぎらい、エ~ルがうれしい。
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 ちょっと粗っぽい刈り方でしたが、よしとしましょう。
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 無事の下山、
 花々の恭虔に
 感謝、感謝。


 Fin