山頂には、恭虔、マツムシソウが迎えてくれました。
今日(9/2)は、
阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』
及び、
堂山王子緑地環境保全地域
を見廻ります。
そぼ降る雨の中、傘を片手に、てくてく運歩。
煙雨にかすむ山頂には、
今年も元気にマツムシソウが咲き溢れていました。
蛍草にご挨拶。
いつもの門沢登山口から。
登山口からちょっと進むと、日当たりの良い場処に。
どうしてもヤブが発達します。
グショグショになるだろうなぁ、と思って…
今日は鎌を持参。20~30Mぐらいの区間です。
人一人濡れずに通れるぐらいの幅で刈り込みましょう。
何とか上手に?刈れました。
singin' in the rain.
小雨に煙る山頂部。
展望台に到着。
先に一帯を見回ります。
気になっていたマツムシソウ。
いつも群生する場処に行ってみると…
雨中、つつしみぶかく、逞しく咲いておりました。
雨を愉しむかの様に。
弾道ミサイルだなんだと、かまびすしい。
『戦争』はドアの直ぐ前まで来ているのでしょうか。
誰でしたか――
「お金はそれを崇拝する者のところへ行く。
裕福になろうと欲してなれなかった人間がいただろうか。
~注意せよ、"なろうと欲して"と、ぼくは言っているのだ。
期待を抱くことは意志をもつことではない。
詩人は10万フランが手に入るという期待を抱くが、
だれから、どうやって手に入れるのか知らない。
彼はその10万フランを得るために、
ほんのわずかな行動も起こさない。
だから、手に入らないのだ。
しかし、彼は美しい詩をつくりたいと思っている。
だから、それをつくるのだ」
と、言っていました。
たしかに、お金が私のところにやって来ないのは、
私がお金を崇拝していないからです…。(笑)
自らに即して、この言葉は正しい、真実です。
平和も同じ、戦争も同じ。
もし戦争が起こるなら、それは、大多数の人が、
実は、平和など崇拝してはおらず、戦争を崇拝していたのだ、
ということの証左なのです。
「人の一生はその人みずからのつくるところであって、
決してただの運命ではない」
とは、ある哲学者の言葉。
いわんや、国家においてをや。
戦争なんて、
どちらが勝っても、人間の敗北ではないですか!
憂えるマツムシソウ。
マツムシソウは、心底から、『平和』を崇拝しています。
その祈りは、"Grace be with you".
一帯に異状のあるなく、安堵。
展望台へ。
辺りは煙雨にかすみます。
つましく、カップ麺。
そうそう、以前、ある登山者の方に言われましたっけ。
「山に登るなどという健康的なことに勤しみながら、
カップ麺などという不健康なものを食するとは…」。
でも、いいのです。
さて、帰るとしましょう。
ねぎらい、エ~ルがうれしい。
ちょっと粗っぽい刈り方でしたが、よしとしましょう。
無事の下山、
花々の恭虔に
感謝、感謝。
Fin