あるく

~山の恵みの備忘録~

高柴山/廉静 2017年1月2日

 のびやかに、あぶくま。
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 今日(1/2)は、
 阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』
 及び
 堂山王子緑地環境保全地域
 を見廻ります。

 昨日とはうってかわって、曇り空でしたが、
 初春の淑気、雪の感触を愉しみながら、
 おだやかにあるくことができました
 感謝。



 山へ入ると、雪。
 日向こそとけていましたが、ほかはまだまだ。
 踏み跡は上って下って一人分、昨日かな?
 (いつもの門沢登山口から)
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 久しぶりの雪の感触がうれしい。
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 山頂部、水石に。
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 展望台に到着。
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 台上に陣取り、息みます。
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 お日様こそ雲に譲るものの、風はなく穏やかな日和。
 あぶくまにくつろぎ、ゆるりと周覧です。
 (日影山、蓬田岳)
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 (片曽根山~移ヶ岳~)
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 雲気、雲光、流れる頌歌。 (移ヶ岳~日山~鎌倉岳~五十人山)
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 (桧山~大滝根山
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 雲をやわらかにまとって、陽精が静かに頌います。
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 山頂部を見廻ります。



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 静かな空、しなやかに雲。

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 先達の言葉に――

 "英知は無視されるどころか、拒否されてきたので、
 知識人の多くが、英知とは何なのかについて
 ほとんどわからなくなってしまった。だから、
 知識人は往々にして、病気を治そうとしてかえってその原因を
 作り出してしまう。
 英知を閉め出して、代わりに小利口さをもってきたために
 病気が起こっているのだから、
 いくら小利口な検査をしても、病気は治るものではない。
 では、英知とは何なのだろうか。
 どこにそれを求めたらいいのだろうか。
 ようやく問題の核心にたどりついた。
 英知について書かれたものは数多いが、それは各人の
 心の中にしか求められない。
 英知を求めるには、貪欲と嫉妬心という、
 今自分を支配しているものを捨てなければならない。
 捨てたとたんに訪れる静けさが~長続きしなくても~
 他の方法では得られない英知に満ちた洞察を
 与えてくれるのである"、とか。



 空が、雲が、洞察しています。 
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 そして、
 "邦に道あれば即ち知、邦に道なければ即ち愚"、
 と、陽精がさとします。



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 一帯に異状のあるなく、安堵。
 帰りましょう。



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 謙廉のしずくに首を垂れて…。
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 無事の下山、
 山路の廉静に、
 感謝、感謝。


 Fin