あるく

~山の恵みの備忘録~

高柴山/花韻 2015年9月6日

   アサギマダラが遊びます。
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   今日(9/6)は、
   阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』
   及び、
   堂山王子緑地環境保全地域
   を見廻ります。

   今にも降り出しそうな曇り空、
   周観はままなりませんでしたが、
   ひっそりと咲く花々の清淑に
   慰められました。


   いつもの門沢登山口から。
   傘を携え、のっし、のっしと・・・。
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   日向にはヤブが繁茂。
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   ホトトギスが路傍に其処彼処。
   いつもより多いかな? 
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   見晴らし台、堅固になりました。
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   山頂部、限りなく霧雨に近い・・・。
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   山頂展望台着。
   一帯を見廻ります。
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   ホタルグサで足の踏み場がない、…。
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   静かな時間が、滔々と。   
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   山頂部には、小さな花たちの歓声。
   ひとすじの気持が交響します。

   ナデシコ
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   内村鑑三の所感に、
   こんな言葉が、――

   "人は誰も花を好む。
   花を好まない者は人にして人でない。
   花は天然の言辞である。
   花によりてわれらは
   天然の心を解することが出来る。
   そうしてわれら人類も天然の一部であるから、
   われらの心も花において顕れる。
   花は無言の言辞である。
   天使の国においては多分花をもって
   思想の交換をなしているであろう。
   言語は銀であって、沈黙は金であると言えば、
   花は沈黙の言語、
   すなわち金の言語であるであろう"。
   ・・・・・・・・・・・・


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   …続けて、
   "余も花を愛する。
   余も花をもって余の心のすべての思念(おもい)を
   語ることが出来る。
   希望の花もあれば失望の花もある。
   歓喜の花もあれば悲哀の花もある。
   傲慢の花もあれば謙遜の花もある。
   人の心のさまざまなるように
   花の色香もいろいろである。
   ゆえに人の心は
   その愛する友を見て知ることが出来るように、
   そのひととなりはほぼその愛する花によりて
   見分くることが出来る"と。


   何を語る?ゲンノショウコ
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   天然は思い煩いをとかす…。

   花の精の会話、
   その静謐にひたります。

   ヤマツツジの本懐。
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   ちょっと雲がうすくなりましたが、
   周観には至らず。
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   見廻りを了え、一帯に異状のあるなく、安堵。
   帰ります。

   片曽根山からのねぎらいとエ~ル。
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   やっかいな蔦ですが、その実は何ともカラフル。
   にくめません。
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   傘はささずにすみました。
   てくてく、てくてく。
   
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   ホタルグサのねぎらいに、ほっこりすると、…  
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   山路の終りです。
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   無事の下山、
   小さき花の叙情、そのエ~ルに
   感謝、感謝。


   Fin