アサギマダラが遊びます。
今日(9/6)は、
阿武隈高原中部県立自然公園『高柴山』
及び、
堂山王子緑地環境保全地域
を見廻ります。
今にも降り出しそうな曇り空、
周観はままなりませんでしたが、
ひっそりと咲く花々の清淑に
慰められました。
いつもの門沢登山口から。
傘を携え、のっし、のっしと・・・。
日向にはヤブが繁茂。
ホトトギスが路傍に其処彼処。
いつもより多いかな?
見晴らし台、堅固になりました。
山頂部、限りなく霧雨に近い・・・。
山頂展望台着。
一帯を見廻ります。
ホタルグサで足の踏み場がない、…。
静かな時間が、滔々と。
山頂部には、小さな花たちの歓声。
ひとすじの気持が交響します。
内村鑑三の所感に、
こんな言葉が、――
"人は誰も花を好む。
花を好まない者は人にして人でない。
花は天然の言辞である。
花によりてわれらは
天然の心を解することが出来る。
そうしてわれら人類も天然の一部であるから、
われらの心も花において顕れる。
花は無言の言辞である。
天使の国においては多分花をもって
思想の交換をなしているであろう。
言語は銀であって、沈黙は金であると言えば、
花は沈黙の言語、
すなわち金の言語であるであろう"。
・・・・・・・・・・・・
…続けて、
"余も花を愛する。
余も花をもって余の心のすべての思念(おもい)を
語ることが出来る。
希望の花もあれば失望の花もある。
歓喜の花もあれば悲哀の花もある。
傲慢の花もあれば謙遜の花もある。
人の心のさまざまなるように
花の色香もいろいろである。
ゆえに人の心は
その愛する友を見て知ることが出来るように、
そのひととなりはほぼその愛する花によりて
見分くることが出来る"と。
何を語る?ゲンノショウコ。
天然は思い煩いをとかす…。
花の精の会話、
その静謐にひたります。
ヤマツツジの本懐。
ちょっと雲がうすくなりましたが、
周観には至らず。
見廻りを了え、一帯に異状のあるなく、安堵。
帰ります。
片曽根山からのねぎらいとエ~ル。
やっかいな蔦ですが、その実は何ともカラフル。
にくめません。
傘はささずにすみました。
てくてく、てくてく。
ホタルグサのねぎらいに、ほっこりすると、…
山路の終りです。
無事の下山、
小さき花の叙情、そのエ~ルに
感謝、感謝。
Fin