あるく

~山の恵みの備忘録~

二ツ箭山/和悦 2015年2月15日

   

 今日(2/15)は、二ツ箭山へ。

 天気晴朗なれども風勁し。
 陽精の燦々、洋の真率、水の謙廉、そして
 常連のみなさんの気概・気勢に
 たくさんの元気を頂戴しました。
 感謝。


 駐車場で、常連のtakagiさんご一行とバッタリ。
 山を楽しむ、溌剌。
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 沁みる挨拶、水の精。
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 呼ばわる磐の声、”天へ、そして天から生きよ”と。
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 唱を合せる、男岩。
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 磐を頂けば、陽彩。
 慈光、洋umiの真率が、おのれをてらします。
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 テラスには、常連のmizunoさんとasanoさんの姿。
 話題は、日本経済の先行き?(笑)
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 なごやかなテラスが、のどやかにつつまれます。
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 山を楽しむ。――
 孔子の言葉に、
 ”之れを知る者は之れを好む者に如かず、
 之れを好む者は之れを楽しむ者に如かず”。
 (『論語』、雍也第六)
 知っているということは好むには及ばない、
 好むというのは楽しむには及ばない、
 素直にそう読める。

 ちょいと吉川幸次郎の註に聴けば、
 「”知る”とは、そのものあるいはその事柄の存在を知ること
 であり、この段階では、対象は、全然自己の外にある。
 ”好む”とは、対象に対して特別な感情をいだくことである。
 対象はまだ自己と一体でない。 
 ”楽しむ”とは、対象が自己と一体となり、
 自己と完全に融合することである」とか。
   
 孔子はまた、自らの”人と為り”を、
 ”憤りを発して食を忘れ、楽しんで以って憂いを忘れ、
 老いの将に至らんとするを知らざるのみ”
 と評してもいる。(述而第七)
 「憤りを発する、すなわち人間の将来を憂えての
 心情の興奮がおこると、そのために食事をさえ忘れる。
 一方また、みずからの楽しみとするものを楽しんで、
 そのときには憂いを忘れている。かくて老いが、
 その身の上におとずれようとすることをも気にかけない」、
 …そんな人柄だ、そんな人柄でありたいと。

 山を楽しむ人は、幸いなるかな。



 月山を周って到着、jinboさん。
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 しばし、談談笑笑。
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 陽精の笑みが包みます。
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 さて、帰りましょう。
 mizunoさんは、周回で月山へ。私は沢へ降ります。
 
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 修験台から、月山。
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 そして、”夫婦岩”。睦まじい二重唱。
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 氷心の迎候、慰労に与ります。
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 氷潔の礼。
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 氷凝の麗。
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 欣躍、水の精。
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 ぷくぷくぷくぷく、贈る言葉は、"Grace be with you".
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 無事の下山、
 山の和喜和悦に
 感謝、感謝。


 Fin