今日(2/8)は、二ツ箭山へ。
予報は曇→雨、芳しくありませんが、
どんな天気にも、山の恵みは籠ります。
駐車場に着くと、流石常連、
mizunoさんとhondaさんの姿が。
mizunoさんとは、随分と久方ぶりです。
お二人の元気を頂戴して、ご一緒することに。
いざ。
杜甫に、”人生七十古来稀なり”。
お山への懐信が香ります。
若輩?→弱輩?
置いて行かれる一番若い私。(笑)
陽精は雲に応接中、
水の精が
つましく迎えてくれました。
岩場に直下、
石磐の呼ばわる声に包まれ、
しばし息を調えます。
雲が払われ、"Welcome!".
基部に上がれば、月山からのエ~ル。
さほど寒くなく、雪は緩んでいます。
攀じって、上へ。
男岩の呼ばわる響koe。
陽精の燦々、洋umiの調べは蔽われ、
目の前には、月山。”今日の主役は俺oiraだよ”。
お山の幽旨に包まれ、談笑のひと時。
思い思いの昼餉。
それにつけても、
山に来てしまう”習慣”。
『論語』、雍也第六に、
「子曰わく、
”知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静かなり。
知者は楽しみ、仁者は寿(いのち)ながし”」
とあり。
”山を楽しむ”に、”登山”という振る舞いが
どう含覆されるにせよ、
含蓄に富む言葉では、ある。
これに続くわけではないのだけれど、
子張第十九には
「子夏曰わく、
”君子に三変有り、之れを望めば儼然。
之れに即くや温。その言を聴くや厲”」
とも。
吉川幸次郎の釈義を借りて敷衍すれば、
「君子はその自由な精神の表現として、
三つの変化をもつ。
最初遠くから見ると儼然として端正である。
…そばへ行くと、温かに、おだやかである。
遠くから見ると秋の月のように、端正であるが、
そばへ行くと春の風のように、
おだやかに人を抱擁する。
そして内部からはエネルギーが、
きびしさ、はげしさとなって溢れ出る」…。
”君子”を”山”に置き換えて、許されるだろうか。
そんな、”山”のような人間になりたいのです、
きっと。
帰りは一緒に周回します。
月山から、”夫婦岩”。いつも睦まじく。
交響する、お山の衷心。
無事の下山、
懐信の山歩きに
感謝。
Fin