「前篇」からの続きです。
八溝の山並にレンブラントの画のような厳かな光線が注がれると。
お山の精爽は白い息で応えます。
山頂部の一角から、大きく息を吸って、越し方を振り返ります。
男体山山頂に到着。人だかりに賑わって。
私も記念にパチリ。
八溝、久慈の山々、その重畳をおかずにオニギリ&カップ麺タイム。
足元は切れ落ちて、紅葉の祝宴。
山頂を少し下りると東屋。月居への縦走路と大円地への下山路を分けます。
上りに付けられた名称なのでしょう「健脚コース」。さて下ろうと何気に触書に目を遣れば、「危険」の二文字。「うんうん、初心者も勇んで来るんだろうなぁ、ま、俺への警告ではないわな」とタカをくくる私。
しかし、その先、径がストンと落ちています。
いやはや鎖に次ぐ鎖のオンパレ~ド。二ツ箭の岩場に準ずる勾配に加え、何とも良い足がかりがなく、しかも先ほどのお湿りで滑り易いことこの上なし・・・!上りはともかく、こんなとこ下るもんじゃありません。鎖にしがみついての情けない下降となりました。(笑)此処は上ってこその男体の真骨頂。肝に銘じましょう。
鎖のオンパレードから解き放たれ、やっと周囲を見回す心の余裕が。
このお山の精魂は絶壁にあり。
紅葉が精彩を加えます。
樹間から山頂部を振り返ります。
粗にして精微。
豊厚の奥久慈。
岩は隆然として・・・
語られざる言葉を。
葉の彩艶にかしずかれて。
鎖場の心拍も収まれば、其処は静寂の空間。
岩の古老たちの溜り場です。
耳を澄ませば天地創造の音色が。
古老たちの精爽、その充溢。
木々はその心を体します。
豊穣が脈打って。
ただじっと其処に「在る」こと、岩として、その言葉。
かつての修験者たちは何を戴いたのだろう。
お山は黙して創造の時に身を委ねます。
大円地に。
何より嬉しいお花のねぎらい。疲れも消えて。
「また来ますね」。
「おう、いつでも来な」と、お山の響(こえ)・・・。
無事の下山、感謝です。
Fin