あるく

~山の恵みの備忘録~

イメージ 1

      



「ああ何と見事な・・・」

紅葉のまだ落ちきらぬおおざさかいの尾根を背に、直径300M程だろうか、しっかりとした半円を描いた虹にであって、思わず私の目はうるんだ。
 11月X日。
 飯豊の山に会いたくなって、私は深夜の国道を山形へと向かった。大日杉への林道にややとばし気味に進入すると、突然、茂みの中からカモシカが現れた。彼は一瞬立ち止まると、「あんまりとばすなよ」とでも言いたげにこちらを見据え、あっという間に藪の中へと消えて行った。
 そして今度はウサギが、リスがゆっくりと進み出した私の車の斜めを前を併走し、「気をつけてね」と、草むらの中へ入って行った。「騒がせてごめん」・・・

 この山は危ない季節に入ろうとしていた。
少しずつ足元に触り始めた雪は、標高1,100M辺りから積雪となり、登るにつれそのたかを増した。表面こそ硬いものの、この少し肥えた身体を支えるには足らず、一歩進める毎に足は雪にめり込んだ。昨日あたりと思われる踏み跡も、諦めたのであろう、滝切合の手前で消えた。
 誰もこの山にはいない、そう感じた。
たったひとりの飯豊道。ザクッ、ザクッという雪を踏みしめる音は、いつしか心象の中で、「ざ~んげ、ざんげ、ろっこんしょうじょう~・・・」と、かわっていった。

 思いの外雪に足をとられ、やっとのことで地蔵岳に到着。すこしガスにいたずらされながらも、地蔵山、三国岳から飯豊本山にいたる主稜線と、宝珠山を持て余し気味に突き出すダイグラ尾根を見渡すことができた。雪を纏った峰々の精悍な姿に、私は身震いを覚えた。
 私の眼は、これから辿る道筋をつぶさにし、私の脳は瞬時に時間の見積もりを終えた。日帰りの山頂ピストンなど論外。切合小屋でカップ麺を食べて帰るといったところか。ところが、しばらく進んで目洗清水に到着し、休憩をとり、飯豊本山の凛々しい姿を写真に収めたとたん、「ゴォーッ」という気流の音が大空に鳴り響いた。すると、山頂付近から草履塚にかけてにわかに雲がざわざわとし始め、天候の悪化を予感させた。私はすぐに下山を決めた。


 帰路。地蔵岳を越え、滝切合を過ぎ、御田の大杉へとさしかかる頃、何気なくおおざさかいの尾根に目をやると、そこには鮮やかな色彩を帯びたおおきな虹が宙に舞っているではないか。主稜線からの強い風にとばされて、結晶の変容を余儀なくされた微小の滴に、太陽からの光線は美しく屈折し・分散した。
 ああ、この山は私のような者を憐れんでいる。山路の了りにこんな見事な虹を用意して、深い同情をもって、この貧しき土塊を慰めている。日常を避け、山に逃れ、さてまた山から逃げ帰る私をこんなにもおおきな祝福をもって遇してくれているのだ。

 山からの響(こえ)は宙いっぱいの鮮麗な結晶となって私の胸奥深くに寂かにとどけられた。               

 

(いつだったか、或る初冬の日の思い出)