今日は、二ツ箭山へ。
先の週は、晴れ予報が外れて曇天でした。なら、本日は曇り予報だから晴天かな?
とまぁ、アホな期待を抱きましたが?文句なしの曇天でした。残念。(笑)
コロナ禍の趨向に、世情は兢兢とするばかりですが、お山は不動、揺るぎ無し。
山に登れば、その不動の心に合せられます。
御滝に礼敬。その謙廉に合せられます。
水面の波紋は、ポエトリー。
ここらの鎖は、あまりお世話にならずとも・・・
水の精と、思想の交換。
しばし、語らいます。
〆張場から山脊へ。心肺を抑えつつ。
岩場に直下。
「天を仰げ、天から生きよ」と、呼ばわる響。
お世話様です。
基部から女岩へ、もうひと踏ん張り。
男岩が、背を押しあげてくれます。
手を伸ばし、足を上げる度に、その姿をかえて・・・
新聞に、ゴリラ研究の第一人者の方の発言が載っていました。―
サルが「強さ」を示し、力関係で群れを統率するのに対して、
ゴリラは「人格?」でまとめるという違いがあるのだそうな。
「日本の政治家はゴリラの世界ではリーダーになれそうもない」、
裏返せば、「サル」ばかりだといいたいのでしょうね。
「もう少しゴリラを見習えば、もっと平和な政治になる~云々」。
それはそう、然うだとしておきましょう。(笑)
さて、コロナ禍。
「自分の言葉を持たない、語らないと政治家にはなれない」、
「明確なメッセージ(言葉)を発する政治家が、今どうも見当たらない」
~と何方かが仰っていました。言葉は大切。
名誉を喰って生きる学者と利得を貪る政治家とは同じサークルの仲間だし、
学術会議の問題も、政治の側の学問軽視の姿勢が露呈したというよりも、
むしろ、学問の側の政治軽視の姿勢が露呈したように思えてなりません。
役に立つ、立たないは、どっちもどっち。そう思うのは、私だけかな?
「政治家」にも「学者」にも、
生命に溢れ、愛に満ちた、ほんとうの言葉が求められています・・・
この磐の塊には、厳とした言葉がある。
女岩を頂いて・・・
眺覧、周覧。霞を透して、祝福に与ります。
岩場のテラスへ。 常連のみなさんがズラリ。
交ぜて頂き、歓談、四方山話。
雲さんに陽が遮られ、ブルブル。いつもと違う風向きです。
あまり長居をせず・・・
私も続きます。
お喋りに興じながら・・・
月山で、ひと息。
たまには、スリーショット。
夫婦岩に見守られ・・・
後は、すたこら。
無事の下山、
山路の和静に
感謝。
fin