あるく

~山の恵みの備忘録~

二ツ箭山/懐恩 2020年12月12日

今日は、二ツ箭山へ。行程は先回同様、ダブル。

この頃は心累?体が調わずちょっとキツめでした。でも、了えてみれば心斎。 

ハァハァゼェゼェは、いつの間にか、"ザンゲザンゲロッコンショウジョウ"に。

やっぱり、山に登るのはいい。なんてったっていい。

(遅くなって駐車場は満杯。隕石の段差を跨いで無理やり?ゴメンナサイ)

 

 

御滝の翔逸、翔華。礼すれば、謙廉。

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沢に歩一歩。今日は体が重め。 

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水の精と語らいながら。 

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〆張場で折れず、直進。源頭へ。 

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沁み入る、衷情。 

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源頭、間近。 

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どうして人は石をのせたがるのかな? 

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激斜面に取付きます。 

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ハアハアゼエゼエ、修験台上手の岩場へ。夫婦岩が睦みます。

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予報通りの空模様。陽精の意地か?雲を透して頌います。 

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唱を合せる、洋。 

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分岐から周回軌道にのると、~

前方に、下山するY田さん、asanoさん、そしてM浦さんご夫妻の姿が。

お久しぶりです。お喋りしながら、しばし行を共に。 

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月山で、ひと息。

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分岐迄ご一緒し・・・ 

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その後、おいとま。〆張場へと降りました。 

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しんどいですが、山脊をめざし、再び万有引力に抗います。怒涛の心肺?

あれこれ自問自答しながら・・・。

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急坂から岩場へのっしのっし。すると、前方からT田さんが。

お久しぶりです。それぞれの上り下りにエ~ル。 

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岩場に直下。

耳澄ませば、呼ばわる響が沁み入ります。 

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鎖、ロープにしがみついて? (笑)

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基部へと上がりました。私の到着を待っていてくれた方を見送り・・・ 

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 もう、ひと踏ん張り。

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上がれば、男岩のねぎらいエ~ル。

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岩場のテラスへ直行。どなたもいらっしゃらない様で、特等席? 

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最近は、いなり寿司&カップ麺が定番かな。(笑) 

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やわらかな日差し・・・陽精と語らう、ひと時。

 

新約書の主人公は、

事あるごとに律法学者やファリサイ派なる社会の「良識」と対峙しました。

「 律法学者やファリサイ派の者たち、あなたがた偽善者は不幸だ(禍だ!)」

に始まり、

「あなたがたは天の国を人々の面前で閉ざして、自分が入らないばかりか、

入ろうとする人も入らせない」とか、

「あなたがたは白く塗った墓に似ている。

外側は美しく見えても、内側は死人の骨や、あらゆる汚れでいっぱいである。

このように、あなたがたも外側は、人の目には正しい人のように見えても、

内側は偽善と不法でいっぱいである」等々、

切々です。

「偽善」とは意識的な偽りではなく、煎じ詰めれば客観的な!自己矛盾のこと。

そう解すると、私など「偽善者」の筆頭格!ファリサイ派どころじゃありません。

では、「不幸だ」、「禍だ」とのニュアンスは、断罪、痛罵、痛撃であったのか。

~彼の発した言語はアラム語、新約書はコイネーというギリシア語で編纂。

伝承の採用に記者の飛躍があり、さらに累累と翻訳から翻訳へと飛躍の連鎖。

とっぱらってみれば、そこに流れているのは彼の哀切、哀憐・・・

「立ち返れ」との愛惜、愛恤の言葉であったに違いありません。なればこそ。

 

そう言えば、もうすぐクリスマス。 

 

 

陽精に、「偽善」はありません。

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 いい時間を過ごせました。帰ります。

 

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 心尽くしの秋色。

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その目送に与って・・・ 

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無事の下山、

懐恩の山路に

感謝。 

 

fin