今日は、二ツ箭山へ。行程は先回同様、ダブル。
この頃は心累?体が調わずちょっとキツめでした。でも、了えてみれば心斎。
ハァハァゼェゼェは、いつの間にか、"ザンゲザンゲロッコンショウジョウ"に。
やっぱり、山に登るのはいい。なんてったっていい。
(遅くなって駐車場は満杯。隕石の段差を跨いで無理やり?ゴメンナサイ)
御滝の翔逸、翔華。礼すれば、謙廉。
沢に歩一歩。今日は体が重め。
水の精と語らいながら。
〆張場で折れず、直進。源頭へ。
沁み入る、衷情。
源頭、間近。
どうして人は石をのせたがるのかな?
激斜面に取付きます。
ハアハアゼエゼエ、修験台上手の岩場へ。夫婦岩が睦みます。
予報通りの空模様。陽精の意地か?雲を透して頌います。
唱を合せる、洋。
分岐から周回軌道にのると、~
前方に、下山するY田さん、asanoさん、そしてM浦さんご夫妻の姿が。
お久しぶりです。お喋りしながら、しばし行を共に。
月山で、ひと息。
分岐迄ご一緒し・・・
その後、おいとま。〆張場へと降りました。
しんどいですが、山脊をめざし、再び万有引力に抗います。怒涛の心肺?
あれこれ自問自答しながら・・・。
急坂から岩場へのっしのっし。すると、前方からT田さんが。
お久しぶりです。それぞれの上り下りにエ~ル。
岩場に直下。
耳澄ませば、呼ばわる響が沁み入ります。
鎖、ロープにしがみついて? (笑)
基部へと上がりました。私の到着を待っていてくれた方を見送り・・・
もう、ひと踏ん張り。
上がれば、男岩のねぎらいエ~ル。
岩場のテラスへ直行。どなたもいらっしゃらない様で、特等席?
最近は、いなり寿司&カップ麺が定番かな。(笑)
やわらかな日差し・・・陽精と語らう、ひと時。
新約書の主人公は、
事あるごとに律法学者やファリサイ派なる社会の「良識」と対峙しました。
「 律法学者やファリサイ派の者たち、あなたがた偽善者は不幸だ(禍だ!)」
に始まり、
「あなたがたは天の国を人々の面前で閉ざして、自分が入らないばかりか、
入ろうとする人も入らせない」とか、
「あなたがたは白く塗った墓に似ている。
外側は美しく見えても、内側は死人の骨や、あらゆる汚れでいっぱいである。
このように、あなたがたも外側は、人の目には正しい人のように見えても、
内側は偽善と不法でいっぱいである」等々、
切々です。
「偽善」とは意識的な偽りではなく、煎じ詰めれば客観的な!自己矛盾のこと。
そう解すると、私など「偽善者」の筆頭格!ファリサイ派どころじゃありません。
では、「不幸だ」、「禍だ」とのニュアンスは、断罪、痛罵、痛撃であったのか。
~彼の発した言語はアラム語、新約書はコイネーというギリシア語で編纂。
伝承の採用に記者の飛躍があり、さらに累累と翻訳から翻訳へと飛躍の連鎖。
とっぱらってみれば、そこに流れているのは彼の哀切、哀憐・・・
「立ち返れ」との愛惜、愛恤の言葉であったに違いありません。なればこそ。
そう言えば、もうすぐクリスマス。
陽精に、「偽善」はありません。
いい時間を過ごせました。帰ります。
心尽くしの秋色。
その目送に与って・・・
無事の下山、
懐恩の山路に
感謝。
fin