水の精の翔逸、翔華、翔踊。
今日(8/15)は、安達太良、湯川渓谷へ。
この頃の暑さで、グロッキー気味? はたと、近場に、涼を求めて。
予報はそれほどでなく、多分稜線は雲陰雲裏、降りみ降らずみといったところかな?
安達太良の山頂を踏むつもりはありません。水声、水明に涼めれば、それで満足。
いざ。
三階滝を巡ります。礼敬すれば、謙廉。
涼意、涼風が染みてきます。
水の時間に歩を合せて。
今日(8/15)は、『敗戦の日』。
大東亜戦争史観からすれば紛れもない『敗戦』だった、その日から75年。
『原爆ドーム』と『憲法第九条』という、その貴い遺産に首を垂れます。
「肢体が切り離されて、それの所属している全体をもはや見ないならば、
それは滅亡し死にゆく一つの存在でしかない。
しかしながら肢体は、自己自身にのみ依存していると信じ、自己を中心とし、
身体そのものたらしめようと欲する。
しかし、肢体は生命の源泉を自己のうちにもたないので、
ただ迷うほかなく、自己の存在の不安定のうちにあって動揺する。・・・
最後に、肢体が自己を自覚するようになれば、
あたかもわが家に帰郷したようなものであり、
もはや、全体のためにしか自己を愛さないようになる。・・・
しかし、全体を愛することによってこそ、肢体は、自己自身を愛するのである。
何故というに、肢体は、全体のうちに、全体によって、全体のためにしか、
存在しないからである」
とは、パスカルの言葉。(『パンセ』)
全体というものは、とても大切な観念なのだ。だから、君よ、今、君は、
生命の源泉でないものを生命の源泉に、神ならぬものを神としていないか?
~この『敗戦の日』は、そう問い続けています。
屏風岩へと上がって、想恋ノ滝。
八幡滝へ。
耳を清ます・・・
水の詩。
沢へと入って、じゃぶじゃぶ童心。
おや、アサギマダラとバッタリ。
くろがね小屋へと辿り着きましたが、稜線は・・・。
時折、風に乗って雨のしずくが。今日は此処を山頂とします。
もどると、さっきのアサギマダラが。
鄭重なる目送に与って・・・
後は、すたこら。 ~ singing in the rain.
無事の下山、
水声、水明の恵みに
感謝、感謝。
fin