あるく

~山の恵みの備忘録~

言葉の糧~ Karl Barth

* Karl Barth (1886-1968) ~スイスの神学者。"Der Romerbrief"(ロマ書)の著述を契機に弁証法神学を創唱。第二次世界大戦中、ヒットラーナチス国家に反対する教会が集まり第1回告白教会会議が開かれ、バルト起草の『バルメン宣言』を発表する。大著"Kirchliche Dogmatik"(『教会教義学』)

 

 

 

”生命の創造者、生命の与え手、またその主であり給う神は、
恵み深い神であるという認識に立つときにのみ、
自殺はいけないということを、確実に、そして疑問の余地なく
基礎づけることができる。・・・・
神が主権者なのであって、君がそうなのではない。
君の生命に対して責任を担い給うのは、彼であって
君自身ではない。
彼がみずから意志し給うたことをなすのであり、
君がみずから欲しなければならぬと思いこんでいる事を、
神がなすのではない。
彼がその御心を目標に至らしめるのであって、しかもこれは、
君の成功や失敗に左右されることはないのである。
彼が君を義とし、きよめ、栄光あらしめ給う。
そのようなことを、彼は君にせよと要求しておられるのではない。
君から要求されていることは、
ただ神の御手にそれを委ねること、
彼がみずから与え給う恩恵を受け入れることによって
彼に服従すること、だけである。
そうすれば、君はいかなる状況においても、
決してひとりぼっちであることはない。
君は自分が四方から包まれているのを見出すであろう。
そして君の人生が、たとえどんなに挫折し、不幸であろうとも、
またどんなに無用で余計な存在のように、思われようとも、
君は決して自己に絶望することはないであろう。
君の生命は神のものなのだ。だから、
神のすべての天使が君と共にあり、赦しと助けと希望とが、
尽きることなく、無限に、決して挫折することなきものとして、
君のために備えられている。だからこそ君は、
たとえ自分の人生がいかに成り行こうとも、
自分の生命を投げ捨てようなどと、決して考えることが
できなくなるのである。
君は生きることを許されているのであって、
生きなければならないというのではない。
・・・・・・・
生きなければならぬという空しい、神なき考え方は、
律法の道であり、これが人を絶望的な試みの中に
引きずりこむのである”。
( Karl Barth ,"Kirchliche Dogmatik")